【書評】ランド・ポール/浅川芳裕訳(2015)『国家を喰らう官僚たち:アメリカを乗っ取る新支配階級』新潮社(★★★)

 表紙も帯も(苦笑)小川先生の本並みにセンセーショナルだ。自由の国アメリカで、官僚が新しい支配階級になりつつある。「国家の略奪行為だ」と現職上院議員ランド・ポール氏が激白している。官僚国家に成り下がってしまった米国への警鐘と、市民の自由侵害に対する告発の書として読める。



 さて、本書の評価には悩んだ。というのは、書いていることが全部真実だとすると、著者の主張は正しいことになる。しかしながら、読者の立場からするならば、記述された事例(個人的な迫害、家宅侵入、商売への不当な介入など)の信ぴょう性を確信することができない。なぜならば、本書の中では、もう一方の当事者である政府関係者からの証言がまったく得られていないからだ。
 書かれていることは、8割方は正しいのだろう。それでも、被告人とされている市民たちは、自分の利益のためにほんとうに違法な行為には及んではいなかったのだろうか?商売の自由という名のもとに、違法な埋め立てはしなかったのだろうか?そのために家宅侵入に及んだ規制側の申し立てを知る術がないのだ。
 科学者の評者は、本書のような一方的な書きっぷりには同調ができない。第1部で攻撃の的となっているFDA(食品医薬品局)やUSDA(米国農務省)、第3部の標的であるEPA(環境保護庁)からの反論を聞きたいのである。

 共和党の大統領候補である著者の主張を要約すると、アメリカは建国以来、自由の国であった。そして、英国を反面教師として、小さな政府を志向してきた。しかし、国家の発展過程で、選挙で選ばれもしない官僚組織が肥大化した。自己増殖して膨張した組織が、政治とは無関係に、自己利益のために奔走することになる。
 これを、筆者は「新しい支配階級」と呼んでいる。かれらは、自分たちの都合がいいように、規制を増やしては仕事を作り出す。その餌食になっているのが、まじめに商売をしてアメリカンドリームを実現したはずのファミリー(農家と中小企業)である。規制によって、蓄えてきたすべての富を奪い去られるというストーリーが各章に満載である。
 どういうわけか、ほとんどの事例が土地(湿地)にからんだ裁判の事例である。中小規模の農家と住宅が、悪玉の規制官庁(FDA,USDA,EPA)の餌食になる。その周辺に圧力団体があって、かれらのロビー活動の周りには補助金などがうごめいている。官僚はその配分権も支配しているから、政治家や立法府といえども、簡単には彼らの利権に障ることができないというわけだ。

 一方では、ランド氏の主張に賛同したい気もする。なぜならば、事実として、米国のエリート階層には、職業移動に関して「回転扉」が存在しているからである。少し詳しく説明する。
 たとえば、FDA(食品医薬品局)の薬品審査官が、サプリメント大手の執行役員や農薬・肥料会社の副社長に転身するなどは日常茶飯事に起こっている。さらに、輪をかけて複雑なのは、医薬系の有名大学医学部や理学部で、新薬の認可に関する基礎研究や有効性を証明するリサーチに携わっているのが、同じ人間だったりすることだ。これは農業分野や建設分野でも同じことが起こっている(空港での無駄なボディチェックの例が出てくるが、わたしも、あれば形式だけで無駄な作業だと思う)。
 そのとおりで、産官学の間に、出入り自由な「回転扉」が存在していることは周知の事実である。多くの書籍にも書かれている。日本の官僚組織の”わたり行為”(退職後に2~3年ごとに天下り組織間を移動して多額の退職金を得るシステム)のようなものだ。
 日米ともに似たようなものだが、米国のほうが質が悪い。それは、米国のエリート官僚層は、自分が作った規制のルールを移動先で商売の材料にするからである。そんなわけで、本書の書かれていることは、多くはさもありなんという話である。

 ただし、正直に言えば、ビジネス行為の自由と私有財産の保全を、抜け目なく享受しようとする中小企業や農家も存在している。これはもう片側の真実である。日本でも、そうした農家(都市近郊農家)や企業(不動産屋や建設会社)は、違法行為ぎりぎりのところで動き回っている。
 したがって、以下はとくに証拠があるわけではないが、書かれている以外の事例では、規制側にも一理あるケースがあるのではないのか。なんとなくのわたしの印象である。
 本書の主張はかなり正しいとは思う。だが、論理と事実の記述によって読者を説得する書としては、価値ある書物だと認めることはできない。ライティング・スタイルの好き嫌いの問題もあるかもしれない。
 翻訳者の浅川さんから、直接に読むように推挙をいただいたのだが、すこし厳しめの書評になってしまった。申し訳がない気もするが、これは本音ではある。ただし、内容についてのコメントは別にして、読むべき価値のある本ではある。そのことは、最後に追記しておきたい。