来月の111回アフタヌーンセミナー(9月8日)は、スピーカーとして岐阜大学助教の山根京子先生をお迎えする。山根先生は「ワサビ」の専門家で、日本でただ一人のワサビの育種家である。講演のテーマは、「世界から愛される和食に不可欠なワサビの危機」で、ワサビの起源や進化などワサビ研究の最前線をわかりやすく解説していただくことになっている。また、セミナー後半では、「グローバルな視点でのワサビの可能性」に関して、山根先生とわたしの対談を企画している。
山根先生をJFMAのセミナーにお招きしたのには伏線がある。わたしは最近、個人的に江戸野菜や日本各地に残されている在来種に注目している。それは、つぎのような「農と食の未来」を予見しているからだ。
日本で食されている野菜は、もともと海外から渡ってきたものである。日本列島の北から南から、あるいは中国大陸の乾燥地帯から、仏教思想や漢字・道具などと一緒に、日本にもたらされたものである。そうした野菜は、渡来から数百年の時を経て、日本各地の気候や土壌になじんで、地域の人々の食生活を支えてきた。いまや世界遺産に認定された和食の基礎は、日本の伝統野菜が育んできたものである。
ところが、第二次世界大戦後に、日本人の食生活の中に洋風の食事が浸透しはじめた。1970年代はじめに急速に普及を始めたファストフードチェーンやファミリーレストランなどのメインメニューは、牛豚肉や卵などタンパク質や油脂分を主体にした食事であったが、これらの食材に日本の在来種は適さなかった。なぜなら、日本の伝統野菜は、大量生産や長距離輸送に向いておらず、サイズや形を揃えるのも難しかったからである。輸送や加工に向かない地域の野菜は、販売チャネルとして食品スーパーが、生産基地として共選産地が優位になるにつれて、しだいに日本の食卓から消えて行った。野菜本来の味や人間にとっての栄養や健康より、農家にとって作りやすいこと、流通業者にとって加工販売がしやすいことが重要だった。そして、遠くに運ぶために安価で形が揃っていて崩れないことが、野菜の種子を選ぶときの基準になった。
しかし、戦後70年を経て、時代はふたたび転換点を迎えている。いま食の流通で起こっていることは、消費の価値基準の見直しである。野菜を例にあげると、価格も重要だが、それ以上に、「美味しさ」と「鮮度」と「旬」が求められているのである(久松農園@茨城県土浦市の“エロウマ野菜”の3条件)。3つの条件に適う野菜の種子は、ここ30年間でわたしたちが主として消費してきたものではない。そうではなくて、遠くから運んでこなくとも、目の前で栽培されていた野菜である。不揃いだが香りが良く、若干表皮に傷がつきやすいナスだったり大根だったりするが、それはそれで美味しくて新鮮だから納得できる。
野菜の消費と流通の最近の変化を見ていると、もしかして花も同じではないだろうかと思ってしまう。輸送園芸に依存することで、より安価な花を遠くから運ぶ時代は終わろうとしているように感じる。地産地消の花、在来種の花など、いままではちょっと考えてみたこともなかったが、流通の形態が変われば、ありうるのではないだろうか?以前、テキサスでひまわりやけいとうなど、サマーフラワーを栽培して、H.E.Bに直に卸していたアーノスキー夫妻のことを思い出していた。