先週、関西出張に向かう新幹線のぞみ号で、新大阪まで移動中に「はじめに」と「あとがき」を読んだ。全体の概要を把握した後で、第一章「国策捜査との闘い」(村木厚子氏)を帰路に読み終えた。壮絶ながら、筆者の淡々とした筆致に感心した。地頭がいい人とは、こういう人のことを言うのだろう。
東大法学部在学中に、弘中氏は司法試験に合格している。全共闘世代でもある。興味深いのは、弁護士資格を取るまでは、「自分の人生に明確な目標が持てなかった」と本書の中で述懐している点である。その後、担当(裁判用語では「受任」と呼ぶらしい)しているのが、世間で言う「名だたる悪人たち」であることが興味深い。
弘中惇一郎氏の『生涯弁護人、事件ファイル1&2』(講談社、2021年)は、随分前に買い込んで本棚に置いてあった。のぞみ27号博多行きの中で読みはじめたが、500ページ超の分厚い弁護記録なので、全部をいまだ読み切れていない。取り上げられている裁判事例は、鈴木宗男、小沢一郎、村木厚子、三浦和義、(中略)、カルロス・ゴーンなどである。
出張を終えて帰宅後にようやく通読できたのは、村木厚子氏(厚生労働省の元職員、著名人)の裁判記録だけだった。それでも70頁近い大作である。他の事例(鈴木氏、小沢氏、、、ゴーン氏)を読み終えていないので、一般的な論評はいまはできない。それでも、村木さんの弁護活動記録(15頁~88頁)を見ただけでも、本書が読む価値のある良書であることは間違いなくわかってしまう。
特捜部が結論(有罪判決)から「ストーリー(物語)」を構成していくのに対して、弘中チームは客観的な事実を積み上げていく。特捜部(検察)が被告や証人から取ってきた調書に基づく冤罪を、無罪に導くための方法論が見事に記述されている。
こんなにまで、弁護側の手の内を明かしてよいのだろうか?読みながらふと疑問に思ったが、検察側の「本来は破綻している行為と論理構成」を世間に知らしめることが、本書の目的であるんだと納得できた。村木厚子さんの事例が、本書の最初に登場するのは、誰でもが理解できる(メディアで知りえている)明らかな冤罪だからだろうと思われる。
先ほどは、「名だたる悪人」と書いてしまったが、本書を読んだ印象は、世間の評判と裁判の結果(真実)は一致しないということだった。弘中さんが弁護士として無罪を勝ち取ったケースは、村木厚子さんを除くと、あまり世間の評判がよろしくない人物ファイルである。ただし、小沢氏について言えば、わたしの個人的にはもともと同情的だった。
鈴木宗男氏、小沢一郎氏から、カルロス・ゴーン氏にいたる一連の裁判については、これから読むことになるので、評価はこの時短ではできないが、おそらくは村木厚子さんのケースに準ずる展開になっているのだろう。やや無責任だが、最後に本書に興味を抱いたきっかけを説明して、第一章の論評を終えることにする。
推薦者のわたしが弘中惇一郎氏とその弁護活動に興味を持ったのは、約10年前に、弘中事務所から大学のわたしの研究室に、内容証明が郵送されてきたからだった。プライバシーに関わることなので、具体的な「内容」は秘匿するが、内容証明が送られてきたのは、これが二度目だった。
正直に言えば、その後はこの件で係争になることはなかった。本書を知った後の印象は、弘中氏と事を構えることがなかったことを幸運に思っている。もう一点、「あとがき」を読むと、弘中氏は愛妻家であることがわかるからでもある。
*このコラムを「書評」としなかったのは、あくまでも、本書が「良書」であることをとりあえず紹介したかったからである。