京大の先生らしくない!なんとも下品なサブタイトルだ(笑)。たしかにSDGsの絵具17色をまぜれば、うんこ色になるだろう。それでも、中身はおもしろい。本書がおもしろい理由は、突き詰めて考えると、わたしも「SDGs」という言葉があまり好きではないからだろう。その点から言えば、共犯者のわたしが読んで、興味深い本であることはまちがいない。
それと、いわゆる常識の間違い(疑わしさ)に、科学的な思考とデータで反論しているのが痛快だからだろう。2時間でざっと一度読んだだけなので、わたしの理解不足があるかもしれない。では、はじめるとしよう。
本書は、昨年、拙著『青いりんごの物語』(PHP研究所)の出版を支援して下さった神戸の総菜メーカー「ロック・フィール」の参与、中野郁夫さんからの推薦図書だった。昨日、マラソンを10KM走った後で、さっと読み終えた。以下は、章ごとの感想である。それぞれの章が比較的、独立した論旨で書かれている。
ちなみに、中野さんの推薦文を、評論の最後に引用する(ファイルが見つからないので、それは後程)。
0 プロローグ
典型的な関西人らしい表現・発言である。SDGsは、キレイゴトで、おもろない。研究対象としてみると、テーマがいまや輝きを失っているからだろう。一般的には正しいのだが、だから、まじめに正面から取り組んでみる価値があるとも思えない。そう本音を漏らしている。ぼちぼち付き合っていこうよ。という結論に落ち着く。
第1章 危ういSDGs
ここは、二酸化炭素論争が主になっている。要するに、地球の起源(ほとんど酸素がない世界)と温暖化の主因と目されてCO2だが、科学的には温暖化との因果は明確ではない。その他の16個の持続可能なゴールは、CO2にかき消されて見えてこない。
第2章 プラごみ問題で考える持続可能性
わたしの個人的な体験(なんとなくモヤモヤ)を話してみる。
わたしは、自宅のごみ出しの主担当者である。ゴミ出しの時間以外に(ゴミ出しの8割はわたしがやっている)、多くの時間を割いているのが、プラスティックごみを捨てる(分別する)ときの動作である。まず食品を包装してあるプラスティックは、水で洗い流してきれいにしてから「プラごみ用のバケツ」に投入する。汚いままだと臭いが出る。
でも、ずいぶんと水を流しているから、浄水を無駄にしていて、実は気が引けている。環境にはずんぶんとマイナスだろう。そう思っただけでも、気持ちが萎えてしまう、ゴミ担当者の自分がいる。
ペットボトルは、包装紙をはがしてから、ペットボトルとプラスティック(ラベル)に分別している。ペットボトルは、キャップも別にしてどこかに寄付している。そのむかしは、ワクチンの購入に寄与するとかで、幼稚園か学校に持って行っていた。ペットボトルが純水ではなく、ジュースやコーヒーだと洗ってから廃棄に出す。またしても、水を無駄に使っている。
著者の主張のように、最終的に焼却してしまうのならば、こんなに手間をかけて水を無駄にすることもないだろうと思った。欧米ではペットボトルを埋め立てるのがほとんどだと知って驚いた。日本の焼却技術、とくに東京都の焼却炉は高性能だと聞いてはいた。そっちの選択肢にかけてみるべきだろう。
第3章 地球温暖化とカオス理論
この章が、著者はいちばんに言いたかったのではなかろうか。カオス理論によると、環境問題の主テーマである気球温暖化(CO2悪玉論)は、科学的には証明できていない。さらに言えば、人類の生活と産業活動で排出しているCO2が、地球温暖化に決定的に貢献しているかどうかは、科学的には証明されていない。しかも、その因果関係は、「カオス理論」によれば不確かである。また、人類が放出しているCO2の貢献量たるや、実際は微量ではないかという疑問の提示がある。そうはそうもしれない。
第4章 無計画だからこそうまくいくスケールフリーな世界
所得(社会的な成功)や友人の数の分布は、正規分布にならない。統計学でよく知られた事実で、極値分布になる。だから、世の中は、基本的に、世の中は不平等になる。著者は、「不平等は平等にやってくる」と表現している。そのために、リミッター(再配分のメカニズム)が自由主義経済(自由競争)には必要になる。正しい結論だろう。
ただし、みんなが同じ方向を向いていると、社会が壊滅的な状態になる。それを阻止するのが、各自が自由に行動すること。別の表現でいえば、「多様性の存在こそが、社会が壊滅状態に陥ることを防ぐ防波堤の役割を担う」。人類の存続に寄与するのは、多様性とはよく知られた事実だから、多様な社会は頑健であると言える。
そんなことがたくさん書いてあるが、さて著者は何を言いたかったのか?話がやや拡散して、SDGsからは離れしまっている?
第5章 日本社会の自由度をいかに高めるか
4章の結論を受けて、現代日本社会の中で、従順でリスクを恐れる若者が多数いることが問題だと論じる。もっと勝手放題に発想して、自由気ままに生きる若者が生きられる社会を!と主張している。たしかにそうだろうが、今の世の中は、そんな若者ばかりでもないように思う。
著者は副業を奨めている。わたしなどは、大学の教員をやりながら、勝手気ままに副業(企業コンサルタント、会社経営、NPO組織運営、エッセイスト、ランニングエントリー会社の社外取締役など)をやってきた。いまでもそうだ。大学教員には、わたしのような人間が多い。みなさん、幸せに生きている。
第6章 うんこ色のSDGs
こんな品のない章タイトルで、終わってほしくなかった(笑)。内容がそこそこおもしろく、常識を壊す真実に満ちていただけに、とても残念だった。最終章では、トイレをテーマに取り上げてほしくなかったなあ。
この本は、だから、あまり売れないのではないだろうか?
専門知識のある人には、納得性のある理論とテーマと事実が書かれているが、この世界の理論が理解できないひとには、おもしろさがわからない可能性がある。内容について言っているのではなく、表現の仕方についての苦情である。
読みやすいのだが、わたしの文章に対するテイスト的には、NG表現が多い。これも評者のわたしの好き嫌いから来ている。主観である。なので、レビューの★は4個である。すいません。