太平洋戦争と戦後の80年間について、自分の理解がまちがっていることに気づいた。本書は、わたしの無知蒙昧について猛省を促す書籍だった。この国には、保坂氏のような素晴らしいジャーナリストがいるのだ。自分の理解度に不安があったので、本書を3度読み返してしまった。
保坂氏の立場は、左翼でもない右翼でもない。その真ん中に立ちながら、江戸から明治・大正に続く昭和の歴史を自らの視座で再構成していく。偏りのない実証主義的な歴史解釈が、見事に展開されている。昭和100年、戦後80年。日本人がなぜ誤った行動を取ってしまったのか。本書は、その解説本である。歴史解釈の方法論的には、ジャーナリストらしく、あの戦争に巻き込まれた関係者への聞き取りが中心である。
高等学校で習った日本史は、明治維新から大正デモクラシーで終わった。現代史に属する昭和の事件は、大学入試に出てくることはほとんどない。年表にリストアップされた事件は一通り覚えたが、受験生だったわたしは、史実に基づいた”昭和”を学ぶことがなかった。
大学に入学してすぐに、左翼的な視点からの戦争責任については、常識的な見解が自分のものになった。経済学部の教授の半分は、マルクス経済学者(唯物史観)で、残りの半分は近代経済学者(米国流の実証主義)だった。皇国史観(三島由紀夫の「楯の会」のメンバー)と唯物史観(新旧左翼の学生運動家)のそれぞれに、同級生や先輩たちに支持者はいたが、自分はそのどちらにもコミットすることがなかった。
いま振り返ってみると、当時は戦争責任とか歴史的な思考に関心が持てなかったからなのだろう。親父や伯父は戦争体験の語り部だったので、戦争の現実はうっすらとわかっていた。しかし、なぜ日本があの戦争に突入してしまったのかについては、本当の理由を深く考えることがなかった。
本題に入ろう。日本人は、太平洋戦争でアメリカと闘うことになった。いや、遅れて近代国家を目指した後進帝国主義国の日本は、米英中の包囲網に冷静さを失い、物量と策略に長けた米国と戦う羽目に陥ってしまった。本書の中に、日本人として衝撃を受けた記述が3か所あった。
第一に、英国の「戦争の原価計算」という表現に関わる部分である。英国は、弱っていたはずの当時の中国を植民地化しようとしなかった。その代わりに、上海や香港の”狭い都市”の一部を租界地とした。広大な国土と長い戦争の歴史体験を持つ中国を支配することは、投入するエネルギー(原価)に見合ったリターン(利益)が生み出せないと判断したからだった。
19世紀にはじまる植民地経営の経験が、中国に対する英国の冷静な判断を導くことになった。それに対して、侵略戦争と植民地支配の経験が浅い日本は、日清・日露戦争の勝利で舞い上がってしまった。経験は老獪な植民地支配の国に味方した。約270年も続いた江戸時代に長く平和を享受していた大和の国は、演習の経験不足に苦しむことになる。
第2に、日本国は、満州事変(1931年)に始まる進攻とその後の中国支配に対して、きちんとした原価計算ができていなかった。皮肉なことに、敗者の中国は長期的な見通しをもち、国共合作のような組織的な妥協に成功した。明確な戦術をもって日本軍と対峙した中国軍に対して、日本軍は行き当たりばったりで戦い、最後に破滅の道を辿ることになる。
最後に、本書を通して通奏低音のようなリズムを流しているのは、太平洋を挟んで対岸の米国である。ペリーの来航(1853年)以降、日本に対する米国の態度は一貫している。明治維新から令和の現在に至るまで、ある時は日本国を庇護しながら、別の時代には日本の敵となり戦争の当事国になる。
ところが、太平洋戦争での戦い方(戦略的な日本潰し)や戦後の占領政策(復讐とデモクラシーの移植)を冷静に見る限り、日本を民主化することによって対共産勢力の橋頭保として利用する意図が透けて見える。本書には書かれていないが、現在進行形の対中経済戦略でも、日本を軍事経済両面で前線基地として利用しようする、米国の対中戦略の冷徹な計画性が見えてくる。
以上、英中米の3カ国の戦争に対する備えと戦略性という実態を、わたしは本書を通じてはじめて知ることになった。それは、思想信条とは無縁な国家としての判断である。翻って過去において、日本が近代国家としていかに子供であったのかを理解することにもなった。しかも、どうやらその小児性はいまも変わらずにいるらしいのだ。本書を読み終えて、最もわたしの心を揺さぶり、気持ちを暗くするのはこの点である。
保坂氏が述べているように、昭和20年代に生まれたわが世代は、唯物史観に強い影響を受けている。わたしも、「太平洋戦争は軍部の一方的な暴走によるものだ」という言説を鵜呑みにして育った世代である。しかし、どうやら東京裁判で裁かれた戦争責任は、実はそれほど単純なものではないらしい。
太平洋戦争についてのもう一つの定説は、「米国に日本が物量で負けることは誰の目にも明らかだった」という説明である。それを回避できなかった日本軍の組織的な欠陥は、戸部良一ほか著『失敗の本質』(中公新書)が分析している通りである。
こうした常識や通説が全面的にまちがっているわけではないだろうが、太平洋戦争への突入とその後の完膚なきまでの敗戦は、根がもっと深いところにあることを本書は教えてくれる。日本人の民族的な特質は、戦後80年を過ぎても本質的には変わっていないらしいのだ。そのことは、本書の終章(第8章「戦後80年」)で、詳しく述べられている。
表紙の袖の部分には、本書の簡単な要約が載っている。
「国家を滅亡の危機にまで追い込んだ『あの戦争』(第2章)から80年、同時代史として語られてきた昭和史は、これから歴史の中へ移行する。2・26事件(第3章)、東京裁判(第4章)、高度成長(第5章)、田中角栄(第6章)、昭和天皇(第7章)、、、時代を大きく変えた8つの事象を、当事者たちの思惑や感情を排して見つめ直すとき、これまでの通説・定説とはおよそ異なる歴史の真相が浮かび上がる。いったい、日本人はどこで何をまちがえたのか・・・・」
ここで言う「同時代史」とは、その時代を生きた人間が存命の時の歴史解釈である。関係者が生きている間は、事件の渦中にいた時代の証人たちに対して、世間の忖度や遠慮があるだろう。客観的には物事を語れない制約がある。
それでも、事件・時代から3世代くらいが経過すれば、同時代に生きた証人たちはこの世を去っている。そのときに登場するのが、「歴史」であるというのが保坂氏の見方である。今年は、昭和100年、戦後80年である。江戸時代から始めて令和までは約420年。歴史は忽然と甦るのだ。
本書を読み終えて、この国が関与した戦争(満州事変~太平洋戦争)と与えられた平和(江戸時代、戦後80年間)について、日本人はその歴史をまちがいなくきちんと理解すべきだと思う。この国の未来について、いま特別に深く考えるタイミングではないだろうか? 素晴らしい本に出合ったけれど、今のわたしは少しばかり心に突き刺さる痛みと深い憂鬱を抱えて込んでしまってもいる。


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