【書評】杉本貴司(2024)『ユニクロ:柳井正と同志たち、その悪戦苦闘の物語』日本経済新聞出版(★★★★)

 一昨日の夕方のことである。神田小川町の事務所に一冊の本が届いていた。
 表紙が真っ赤で、見慣れた白抜きのロゴ。本のタイトルは、「ユニクロ」。デザイン装丁は、佐藤可士和さん。著者は、日本経済新聞編集委員の杉本貴司さん。奥付けをみると、孫さんの野望本や、ホンダジェットの物語などを書いている。実績があるノンフィクション作家で、日経の編集記者だった。
 早速、昨日の午後から読み始めた。500頁近い分厚い本である。4時間をかけても、夕方まで読み終わらなかった。19時半からは、地元消防団で消火訓練のサポートに入る予定がある。あまりに内容がおもしろいので、夕食も忘れて訓練補助の仕事を休んでしまった(*消防団の担当者には、連絡をしておいた)。
 
 
 読了したのは、午後11時。途中のトイレ休憩のタイミングで、相手が夕食が終わったころを見計らって、友人の経営者にLINEからメッセージを送った。
 「いまユニクロという本を読んでいます。すぐに読んでください!面白いです。
 先日、日経に広告が出ていた本です。柳井さんから直接送られてきました。手紙の内容が、いつものとは雰囲気が違いました。」
 柳井さんから献本していただくのは、久しぶりである。初期のころに、『1勝9敗』(新潮社、2003年)や『成功は一日で捨て去れ』(新潮社、20019年)などが、大学の研究室に送られてきた。「和紙のような少しざらついた、白っぽい装丁がお好きなのだな」と思ったものだった。
 
 友人のTさんからは、すぐに返信があった。
 「本屋で立ち読みしましたが、ここまで描いていいのかなぁと感じました。買います!」
 Tさんからの依頼で、10年ほど前に仕事で柳井さんを紹介したことがある。友人もまた、柳井さんと同じ「1.5代目」の経営者である。創業者でやや扱いにくい父親の事業を継いで、いまは継承したグループ3社の事業が順調に伸びている。実際にはたくさんの問題を抱えてはいるが、チャレンジングな課題に正面から取り組んでいる。
 わたしは短い一行を彼に送った。「Tさんは、きっとここまで行けると思います。」
 ここまでとは、本書に描かれている「グローバルに通用する(ユニクロのような)企業」という意味である。わたしからTさんへの密かなエールである。

 著者は、非常に優秀なノンフィクション作家である。というのは、この本を書くことが、相当に困難だったと思うからである。その困難にひるむことなく、そのハードルを堂々と乗り越えることができている。
 なぜなら、主人公の柳井をはじめとして、「同志」の澤田、玉塚、柚木などの社員だけでなく、父親の等、奥さんの照代、次男の康治など、家族も本書には登場している(以下、敬称略)。そうなると、それぞれのプライベートも描かざるをえないからである。
 縁あって、わたしはこの人たちの何人かとは、実際に会って話したことがある。筆者が描いている像とはちょっと違う気もするが、この本では、そこを描かないと柳井本人の企業家として軌跡をうまく表現できない。
 地方のさびれた商店街の紳士服店から、日本を代表するアパレル企業を飛び越えて、世界的なアパレル企業になるまでの50年の足跡。柳井の周りに現れては去っていった同志たちとの赤裸々なやりとりを晒すことなしに、柳井正という人物の狂気は語れないだろう。
 
 書き手としての「ぎりぎりの表現」が、物語の序盤に登場する(第4章「衝突」)。
 友人のTさんが「ここまで描いていいのか?」と嘆息した場面で、広島銀行宇部支店長の柳田と柳井との激しいやり取りの下りである。結局、広島銀行とはインタビューができていない。そうはそうだろう。裏は取りようがない。しかし、よくぞここまで上手に描き切っている。見事である。
 もう一か所は、第9章「矛盾:『ブラック企業批判』が投げかけたもの」で取り上げた社員の働き方と海外の製造現場の実態についての記述である。著者は、国内店舗の社員たちからの聞き取りと、アジアの協力工場を取材している。外部からのユニクロ批判に関しては、成長途上のユニクロが陥った「矛盾」という形でブラック企業批判を総括している。
 もしわたしが書き手だったら、この争点を著者のように「マイルドな扱い」にはしなかっただろう。この時期にメディアの集中砲火を浴びた柳井本人は、この章の記述をどのように読んだか、本人に尋ねてみたい気持ちになる。

 本書を読了するために、結構長い時間(約8時間)を費やすことになった。しかし、文章も平易で読みやすいし、全体の構成もしっかりしている。それほど長い時間には感じなかった。
 厚い本なので、わたしならば、全体を3部構成にしたと思う。第1部(第1章「寝太郎」~第3章「鉱脈」)は、ユニクロが誕生するまで。第2部(第4章「衝突」~第7章「逆風」)は、国内市場で成功するまで。第3部(第8章「突破口」~第10章「再起」は、グローバル企業になるための準備と苦闘。
 なお、第11章「進化」は、現在の形より短くして切り離す。場合によっては、「エピローグ」に統合してほうがすっきりするかもしれない。理由は、本書で唯一、論旨がすっきりと頭に入ってこないのが第11章「進化」だからである。情報製造小売業の記述に至って、筆者の筆が走らなくなっている。実は、もしかしてだが、杉本さんご本人、がユニクロの未来についていまだ確信が持てないからではないだろうか。

 最後に、全体を通しての印象を述べて終わりにしたい。
 ユニクロが世界的なアパレル企業に飛躍するためには、3つの条件が必要だった。言わずと知れた最初の条件は、経営者・柳井の構想力と実行力である。二番目は、その夢を実現するための同志たる社員たちの存在である。3番目は、柳井の事業構想力のベースになった情報である。
 柳井は3番目の貴重な情報源を、経営書の繰り返しの読書と果敢な人脈づくりを通して獲得してきた。なお、筆者のユニークな発見は、それを人間(同志)と情報(国内外)という形で体系づけたことである。
 素晴らしい出来栄えの本の欠点を指摘するは、欲しいものねだりかもしれない。研究者としての目線で考えると、ユニクロのビジネスモデル(進化のプロセス)を、もうすこし相対化してみてほしかった。国内外で活躍している同業他社や異業種のモデルと比較してほしいということである。
 イノベーションは、グローバルに産業や業態や地域を超えて起こっている。評者の最終章についてのコメント(書き足らなさ)は、ユニクロモデルの相対化についての深堀の足りなさから来ているようにも思う。

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