【巻頭言】「「もうひとつの春の物日、ミモザの日」」『JFMAニュース』2024年3月20日号

 フラワーバレンタインの普及活動を始める前に、JFMAとして取り組んできた物日があった。
3月8日(国際女性デー)は、欧州とりわけイタリアでは、春を告げる⻩色い花(ミモザ)を女性に送る風習があることを知ったからだ。新しい物日として「ミモザの日」を提案してくれたのは、華道家の大久保有加さんだった。2007年3月のことである。初年度は、彼女が企画したイベントに、イタリア大使館が協賛してくれた。ホールを借り切って、声楽家による演奏会や大久保さんのインスタレーションを執り行った。

 2年目は、法政大学がJFMAの企画イベント(ミモザの日)に、大ホールを提供してくれた。いまや、フラワーバレンタインが、春の物日を代表するイベントになった感がある。ただし、日比谷花壇や⻘山フラワーマーケットは、その後もミモザの日を続けてくれている。いまやミモザの日は国際女性デーとしても手堅く世の中に浸透している。

 イタリア大使館でのイベントから5年が経過したある日のこと、旧小田急ランドフローラ(現、日比谷花壇)の坂本哲夫社⻑から、「先生、いい話があるのですよ」とある出来事を知らされた。以下は、当時のブログ(2012年3月)で紹介した坂本社⻑のお話である。
 3月8日のミモザの日に、小田急フローリストの新宿本店にひとりの男性が訪れた。応対した店員さんに、「小田急さんが先日、後援をなさった鈴木慶江(よしえ)さんのコンサートで、当日に配布したのと同じブーケを20束ください」と告げた。小田急フローリストは、グループの小田急百貨店や近くの京王百貨店などと協力して、JFMAが特別なキャンペーンを行わなくなって以降も、「春告げの日の行事」(新宿駅周辺を⻩色に染める!)を続けてきたのである。
 大久保さんが初年度に企画した「ミモザの日のコンサート」を、その後も後援していた。地道な努力が実って、このシーズンになると、お客さんがミモザの花を購入してくれるようになった。そのひとつが、この男性客の行動につながったものと思われる。「小川先生、やっぱり、あきらめずにやり続けることが大事ですよね」(坂本さん)。フラワーバレンタインもミモザの日も、浸透させるにはそれなりの時間が必要だった。プロモーションには、それなりの時間と準備が必要である。

 今年の2月のバレンタインの日と、3月のミモザの日のどちらも、わたしは都内の花店を巡ってみた。店頭を見ると、花を購入する男性客が確実に増えていることがわかる。そして、ミモザの日には、日比谷花壇や⻘山フラワーマーケットをはじめとして、都内の花屋さんの店頭はミモザの⻩色に染まっていた。
 「春告げの日」の取り組みの成果が、着実に上がってきている。3月の初旬に、花屋の店頭が⻩色に染まるようになったのは、ミモザの日を提案してくれた大久保さんや、その後のフォローの活動に努力してくれた坂本社⻑の貢献を抜きにしては語れないだろう。

(注)この原稿は、小川の個人ブログ記事「もうひとつの春の物日(3月8日はミモザの日)」(2012年3月10日)に加筆修正したものである。

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