コロナ明け間際の昨年12月末に、神戸から家族3人がやってきた。ところが、わたしを除く高砂組と神戸組の全員が、コロナにかかって発熱してしまった。各人がそれぞれ数日間、順番に床に臥せてしまった。ふだんは何もしないわたしなのだが、買い物や料理、加えて(いつもの)洗濯とゴミ出しに奔走することになった。生涯で最初(で最後)のファミリーへの献身的なご奉公の一週間だった。
「全員が討ち死に」というまさかの事態に。それでも、わんすけ先生は決して右往左往することがなかった。結論をいえば、わたしが家族の中で、もっと体が頑丈だという実績を作ってしまったからだ。それはそうだろう。これだけの距離を走って免疫力を高めてきたのだから、そう簡単にコロナにはやられない。
3年間を振り返ってみると、結局のところ、一度もコロナに罹患しなかったのは、4つの家族でわたしひとりだけだった(3年間、一度も帰省しなかったので、京都のともみの状況はわからない)。わたしは予防接種を2回でやめた。それが逆によかったのかもしれない、といまでは思っている。
結果的に、ほぼ全員がふとんから起き上がって来れない正月になった。「小川野戦病院@葛飾区高砂8丁目」。昨年の暮れから正月にかけて、唯一元気だったわたしは、密かに「1階のリビングと2つの部屋」のことをそう呼んでいた。2023年は、暗くて寒い新年が明けたものだった。
今年も、4家族が29日に集合する予定になっている。今年こそ、39℃を超す発熱と、咳こんこんの年末年始は避けたいと思っている。ところが、危険な兆候がすでに現れている。昨夜から、次男の息子(穂高くん)が熱を出しているからだ。
昨夜の穂高君は、フィンランドのサンタさんから野球盤をプレゼントしてもらった。初めて自分のものになった野球盤で、父親の真継君にプレイしてもらい、かなり興奮していた。いまの野球盤は、打者に投じたパチンコ玉(ボール)が、フィールドを滑っていくだけではない。バットの当たりどころがよいと、少し球が浮きあがって外野に飛んでいくこともある。場合によっては、フェンスを越えてホームランになる。
そうそう、投手が投じる一球ごとに、電子的な声でアナウンスが流れる。「ワンナウト、ワンボール、ツーストライク!」。新式の野球盤に熱中して、穂高君はクリスマスケーキを食べ忘れたようだ。それでも、ご満悦で元気に3階に上がっていったはずだった。ところが、一階に宿泊した妹(夏穂ちん)が起き出すと、2階の父親からLINEにメッセージが入った。「穂高、発熱して、38.5℃だわ」。ガーン
というわけで、3日後に到着予定の神戸組の先発隊の3人(奈緒さん、紗楽さん、諒くん)を、わたしは心配顔で待っているところではある。昨年の非常事態の再来は、ぜひとも避けたいところだ。
わたしはインフルエンザ対策を優先して、いつもより慎重に行動しようと思っている。これから来る2日間の宴席(劇団四季「ひばり」の観劇@浜松町の自由劇場、GRCの納会@下北沢の鮨屋さん)は、温かめに武装して出撃するつもりだ。そうそう、背中にホカロンを必ず貼りつけることを忘れずに。
GRCの宴席(28日)は早めに切り上げ、早々に帰路につくことを誓います。その翌日が、神戸組の到着日になっている。夕方に仕事を終えて東京に向かう母親の奈緒ちゃんは、ふたりの子供を連れて新幹線に乗れれるだろうか?そこまで考えると、少し胃が痛くなってくる。まあ、何とかはなるだろう。
昨年は帰省できなかったシェフの父親(由くん)は、早めに高砂のキッチンに立ってもらいたい。2年続けてのわんすけの「特異料理」(ワンバーグなど)は避けたいものだ。わん、