書評: ヤンミ・ムン、北川知子訳(2010)『ビジネスで一番、大切なこと ~ 消費者のこころを学ぶ授業』ダイヤモンド社(★★★★)

 昨年8月にダイヤモンド社から発売されたベストセラー本である(6刷)。学部生に、6月の課題図書として感想文を書かせてみた。著者は、ハーバード大のマーケティング教授である。残念ながら、彼女の論文は読んだことがない。原題は、”Different”(差異)である。


よく売れた作品だということが、よくわかる。翻訳者の北川さんの文章も平易なのだが、商品やブランドを見る、ムン(MOON)さんのまなざしが、とてもやさしいのである。
 (*ちなみに、気になったこと: ”Moon”を、どうして「ムン」と発音するのだろうか?彼女はもともとマレーシア人だと書いてあったが、マレイ語と英語のムーンは読み方がちがうのだろうか?)
 彼女は、二人の男の子の母親だという。母性が文章から感じられる。そして、あとがきでの「夫への感謝」の表現をみると、アジア系女性で知性的、良妻賢母の匂いが伝わってくる。
 だから、通常のマーケティングの本と比べると、ぎすぎすしていない。ヒューマンタッチのビジネス書である。劇中の登場人物は、自分の友人や家族。そして、消費者行動を説明するのは、ごく身近な自分の経験である。

 さて、本書の評価であるが、迷った末に、「★4」にすることにした。
 書籍としては、決しておもしろくないわけではない。とくに、第一部「わたしたちが陥っている「競争」の正体」などは、「同質的な競争がなぜ起こるのか」について、かなり本質的な指摘がなされている。そこに至るまでの論理の組み立てと、取り上げた事例は卓越している。
 しかしながら、マーケティングを研究している人間からみると、これらはすでによく知られていることを、表現を変えて言っているだけのことである。新しさは感じられない。本書の半分で第一部が終わる。だから、★4である。

 本書の内容を、簡単に紹介してみよう。
 第1部で、同質的な競争(彼女の表現では、「異質的同質性」の罠)に陥るのは、マーケターが「ポジショニングマップ」でコンセプトを作ったり、競争相手の優越性を詳しく調べる「ベンチマーキング」に罪がある、となる。
 そうなのだ。わたしたちが大学の教室で教えている「マーケティングの枠組み(思考法)」そのものが、同質的な競争を生み出しているのだ。来週出版される『28歳の仕事術』で推奨している「フレームワーク」は、同質的な商品開発を誘発することになるのだ。
 ここで説明が説得的なのは、製品の進化の方向を、「付加価値型」と「増殖型」に分類していることだろう。付加価値型は、機能を付け加えること、増殖型は、製品の種類が増えていくことである。
 どちらも、市場の異質的な同質性を高めることに貢献する。だから、そこから抜け出すことを考えよう。となって、第二部が始まる。

 第二部は、「わたしたちの目を奪うアイデアブランド」である。ここでは、同質的な商品ではなく、エッジの効いたブランドを紹介している。ここでいう「アイデアブランド」とは、何らかの意味で、カテゴリー(同質な商品群)から飛び抜けた存在、すなわち、競争優位を持ったブランドのことである。
 アイデアブランドには、3つの種類がある。世の中の逆の流れを行く「リバースブランド」。既存の分類を買い替える「ブレークアウェーブランド」。好感度に背を向ける「ホスタイルブランド」の3種類である。

 リバースブランドの代表例は、グーグル、IKEA、ジェットブルー(LCC)である。わたし風に言えば、カテゴリーの「前提」を壊したブランドである。非常識をそのブランドの強み(存立基盤)にしているブランドのことである。「際立っている」とは、そのようなことを指すだろう。

 ブレークアウェーブランドは、既存のカテゴリーを破壊したブランドのことである。例えば、ソニーのAIBO(ロボット)、シルク・ドゥ・ソレイユ(サーカス)、スウォッチ(時計)。AIBOは、ロボットでなく、「ペット」としてポジショニングされた。シルク・ドゥ・ソレイユは、サーカスではなく、「演劇=ショウ」である。スウォッチは、時計ではなく、ファッションアクセサリーである。
 これらの成功は、カテゴリーのギリギリの際(マージナルなライン)にブランドを位置づけたことにある。既存のカテゴリーをうまく利用しているのだ。そして、他のブランドが追随できない差別化に成功している。だから、Differentなのだ。

 最後のホスタイルブランドは、多くの一般消費者には好かれなくてもよいから、ニッチな市場を狙うブランド群のことである。敵意感情(ホスタイル)が差別化の要因なのである。例としては、最近日本でも見かけるようになった「レッドブル」(精力剤:笑い)と、なんと!日本のBAPE(二号さんのブランド)、ホリスター(アバクロの姉妹ブランド、小さなサイズしかない!)が入っている。
 これらのブランドは、一般人を遠ざけることで、つまりは、何らかの手法で「ハードル」を引き上げることで、特定のファンに支持されている。一種のMブランド(マゾブランド)である。ターゲット顧客が、なんとなく奴隷や召使に見える。

 第3部「私たちは、人間らしさに立ち返る」では、短い章である。全体を要約している。本書を5つ星にしなかった理由が、この最後の章の位置づけにある。
 本来ならば、第一部の理論的背景と第二部の事例を、もっと有機的な枠組みで括るべきなのである。この関連が、必ずしも、第3部で納得的に説明できていない。
 本人も、本書全体が「試論」だと述べている。この正直な告白から、彼女の学者としての真摯な態度が伝わってくる。本書が、世界中の読者から好感をもって迎えらえた理由だろう。