気になっていながら、手がつかないままに長年、書斎の脇に積んでおかれる本がある。そのうちの一冊が、本書『欲望の植物誌』である。人間の欲望を操ってきた4つの植物(リンゴ、チューリップ、マリファナ、ジャガイモ)を、自然文化史的な視点からとりあげた労作である。
著者は、米国人のジャーナリストである。本書は、10年前の2001年に米国で発刊されている。西田佐知子氏の翻訳がすごく美しい。
新聞の書評欄で見つけたのだが、購入したのは一年以上も前のことだった。日本語の刊行年は、2003年である。見たときには、すでに6年からが経過していた書評だった。
序章と第1章は、購入してすぐに読んでいた。序章の「ヒトという名の働きバチ」では、植物が人間のために存在しているのではなく、人間が働き蜂のように植物に奉仕していることを示している。
第1章は、リンゴのストーリーである。舞台は、米国の16~17世紀、開拓者時代。ジョニー・アップルシードが、いくつもの川を渡って、新開地にリンゴの樹の苗を植えていく話である。サブタイトルは、「甘さ」への欲望、あるいは、リンゴの物語。このリード文が、すべてを物語っている。
人間の基本的な甘味への欲求が、リンゴに具体化していった事実。甘さ(蜜とグルコース)はなぜ必要とされていたのか。
第一章を読み終えてから、なぜか1年が過ぎていた。昨晩、ようやくリスタートして読んだのが、第2章「美への欲望、あるいは、チューリップの物語」である。
この章を先に読まなかったが不思議である。その理由は、昨年4月に旅したのが、トルコ共和国だったからだ。トルコは、チューリップの故郷である。ただし、原産地は、中国奥地、天山山脈の乾いた岩地である。
オスマントルコとオランダは、陸と海でつながっていた。そして、美術の世界でも、この二つの国をつないでいたのはチューリップだった。わたしたちは、現存の古い植物画に、いまは存在していないチューリップの品種を見ることができる。しかも、ウイルスに冒されたそれらの珍種は、いまや植物画の世界でしか見ることができない。
なぜならば、チューリップは、種子レベルで、突然変異の激しい植物だからである。
世間で知られている、チューリップの栽培の起源、および、そのオランダでの熱狂(投機=バブルの語源)とは、ちょっと違った解釈を、本書は提供してくれる。オランダでチューリップが投機の対象になったのは、色彩への欲望だったのである。
オランダ(北欧州)の気候風土が、色鮮やかな品種を次々と生み出す植物に、薄暗くてモノトーンな世界に住んでいるオランダ人を目覚めさせた。人工的とさえ感じさせる花、チューリップは、オランダ人にぴったりだった。
本章の最後で、 「なんのために、花は咲くのか?」という問いが、読者に投げかけられる。チューリップを通して、わたしたちは、花が咲いていることの意味を知ることになる。自然が生殖行為を生み出した動機は、動物(虫も人間を含む!)に対する植物の誘惑だった。
チューリップは、バラやユリやボタンとは異なり、特殊な花なのである。たくさんの色のバラエティを持ち、なおかつ、7年間は球根が育つまで、本当の形質がわからない。
第3章は、「陶酔への欲望、あるいは、マリファナの物語」、第4章は、「管理」への欲望、あるいは、ジャガイモの物語」と続く。これらについては、それぞれの章を読んだ後に、ブログに付け加えていくことにする。
本日も、長い一日になりそうだ。新宿小田急、農水省、法政大学(面談)、ヤオコー川野会長との打ち合わせ(7月の軽井沢トップセミナーの講演コーディネーション)、その後の会長夫妻との会食へと続く。