わたしのゼミに入ると、こなすべき義務がたくさん生じる。課題がやたら多いのが特長である。入ゼミ試験の倍率が、昔に比べて最近は低くなったと聞いているが、その理由の一つが「注文の多い料理屋さん」にあるらしい。
ゼミ生は、隔月のペースで課題図書を読ませられる。共同購入した書籍は、水曜日のゼミのときに配布され、遅くとも一ヶ月後には感想文の提出が義務付けられる。
学生にとっては良いサービスも用意されている。全員が書いた感想文に対するコメントが、二週間以内に本人に返却されるからである。最高はA++(良い子シール二枚)、つぎのランクがA+(良い子シール1枚)で、最低がBである。Bがつくと再提出になる。毎回数名が出る。逆に、良い子シールが5枚たまると、近所のカレー屋さんにご招待される。むかしは、フレンチレストラン(三国の姉妹店リヨン)のランチ(1250円)であったこともある。
感想文の提出は、わたしと強制的に走らされる皇居一周マラソンと同様である。小川ゼミ生である限り、感想文から絶対に逃れることができない。A4二枚。きっちりの分量を要求される。それ以上でもそれ以下でもない。
お題は、村上春樹の『世界の終わりと・・・』など文学関連のものもあるにはあるが、マーケティングや経営学関連の本がどうしても多くなる。12月の課題図書は、標記の『社員をサーファインに行かせよう』東洋経済新報社であった。わたしの課題図書の題材は、著者から直に献本されたものが多いという特徴がある。そのほうが信用保証ができてよい。すぐに読んでしまうので、評価はすぐに出る。このHPにも、いただいた本の書評で比較的評価の高いものを抽出して紹介している。(★の数は1~5まであるが、★3以下は掲載したことがないはずである)
感想文を課すと最初、学生は大いにとまどうらしい。なかなかうまく文章が書けない。ワードで書いてくるのだが、そもそもプリントの仕方がわからなかったり、レイアウトがめちゃめちゃだったりする。うまくまとめたりすることに対して、高等学校では訓練がまったくなされていないからである。しかし、まあ、彼らは適応能力が高いので、とにかく思い思いの感想文は書いてくる。そして、だんだんと進歩していく。基礎学力は低くない。教師がこまかく面倒をみないから進歩していかないだけである。
3年生でゼミに入ってきた学生に対する最初の指導は、内容のことではない。まずは、文章を書くことの作法(形式)を覚えてもらうことである。すなわち、他人が読める文章に直してあげることである。わたしの手書きの文字はきたないが、かならず全員に5行程度の一口メモは赤字で入れてあげる。内容についてのコメントは、3回目からのことである。とりあえず、きちんとした文章を書かせることが先決である。
隔月で感想文を要求しているのは、値段の高い本は選べない。著者割りの2割引きを前提にしても、定価で2000円が限度である。また、A4二枚までにしているのは、わたしが24組をすべて見てコメントできるぎりぎりの分量だからである。そんなに沢山の文章は校正できない。24人分を全部コメント入りで返すことは、結構骨の折れる作業である。自筆のコメント入りだから、読めないことがあるらしく、まあ読めないことはそれはそれで悪くないので(むかし、慶応大学の村田昭治先生から、献本に対する御礼の手紙をいただいたが、まったく読めなかった!)、「ある種の記号として読め!」などと、わけのわからないことを言ってきた。
文章はたくさん書くことで上達する。多少でも上達していくとするば、それは無理やり書かされた訓練の賜物である。先生としていちばんうれしいのは、2年間の最後の半年になって、本当に自分の主張を的確に表現できるようになる学生がたくさん出てくれることである。10回以上も傾向がちがう、さまざまな本を読ませられた挙句、若い子達は目に見えて文章が上達していく。
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本日は、現役4年生の塩田君の感想文をそのまま、HPにアップすることにした。めずらしいことではあるが、つぎのような事情でとりあげることにした。
実は、12月の課題図書(社員を・・・)は、先週のゼミで配布しておいた。訳者の森摂氏に頼んで、出版社から8掛けで取り寄せていた。しかし、提出は3週間先である。わたしはといえば、西安行きの飛行機の中で読了していたので、学生たちに何人くらいすでに読んでいるものなのか?興味があったので、尋ねてみた。水曜日(12月5日)の学部ゼミがはじまってすぐのタイミングであった。全員に聞いてみた。
結果、読み終えていたのがひとり、半分まで終わっていた女の子が1人いた。読了していたのが、今回感想文を紹介する塩田君である。しかも、隣にすわっている彼の手元を覗くと、なんと、提出を要求をしるわけでもない感想文を彼は持ってきているではないか!何かが起こってしまっている。
2週間先の課題を彼はすでに終わらせていたのである。わたしの分類では、塩田君は「すばやく仕事を終えるタイプ」の分類には属していない。まずはそれが驚きだった。しかも、180分の演習授業の途中で、その感想文を読ませてもらってさらに愕然とした。出来がいいのである。
前置きはこれまでにして、以下では、彼のA4二枚の感想文をそのまま貼り付けさせていただく。わたしが思いもよらなかった学ぶべき視点を2つ、塩田君は、コメントとして文章中で指摘していた。先生がうれしいと感じるのは、学生が飛躍的に成長する瞬間に出会うことである。
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(塩田君の感想文) イヴォン・シュイナード『社員をサーフィンに行かせよう』東洋経済新報社(2007)
本書には、なぜ冒険家の精神を持ち続け、仕事と遊びと社会的義務を融合させることによって多大な成功を収められるのかという事実を示しながら、製品デザイン、製造工程、流通、ブランドイメージ、経営、管理、環境に対する責任についてのイヴォン氏の持論がまとめられている。パタゴニアは善良な市民による持続可能なビジネスの例証であり、同時にイヴォン氏は個々の人生そのものを偉大なる冒険にする可能性を実証している。熱狂的なアウトドア愛好家から環境保護主義者、ビジネス関係者にいたるまで、本書は幅広い読者層にインスピレーションを与えるビジネス・マニフェストである。
アウトドア好きなイヴォン氏は、社員に「いつでもサーフィン、登山、釣り、ほかのどんなスポーツにでも行っていい、自分も行くので」、と独自の経営スタイルを持っている。フレックスタイム、ジョブシェアリングと他の企業では導入されていても名ばかりで効率よく利用されていないのが現状だが、この企業ではそういった制度を効率的に行いながら業務をまわしている。本書は、前半はほとんど自伝が占め、後半はパタゴニアの理念を説明してある。理念はとても分かりやすくシンプルであり、いかに環境を大切にしているのかが分かる。地球を大切にし、そして人を大切にしている。100年後も存在する企業を目指すイヴォン氏は「絶え間なく変化し、確信していくための鍵は、切迫感を持つことだ」と語る。パタゴニアは、アウトドアを楽しみたい人が自分の使いたい製品をつくり、また、そのためのしっかりした社内ルールがある会社である。社員が休みたい時に休んでアウトドアを楽しむためには、当然普段の頑張りが必要な訳で、それが企業文化になっているところが素晴らしいと感じた。他の企業以上に自己管理が求められるという意味で、想像以上に厳しい環境であると思われる。
原題は、『Let my people go surfing』だ。ここで言う“my people” は「社員」にとどまるものではないだろう。それは本書を読み進めていくに当って感じたことだ。翻訳の際にビジネス書のタイトルにするには「社員」と訳すのが適当であったのだろう。このことから「社員」という言葉を使うしかないほどに、日本語の企業環境はボキャブラリが少ないのだと感じた。「社員」と呼ばれるとき、人は「社員」として振る舞うよりほかない。役割の名前は、社会活動における行為の枠組みである。“my people”の含むところの意味はよく考える必要があるかもしれない。
また、パタゴニアの行っている「1% for the planet」という取り組みは興味深い。利益が出ている、出ていないに関わらず、売上の1%を寄付するというもので、生活していく上で、環境問題の改善を行っていくのであれば、最低限1パーセントくらい寄付することが必要なのかもしれない。ただ、いざ自分に事を置き換えてみると年収の1パーセントを寄付するのは、なかなか抵抗がある。強制されることなく、自発的に寄付に取り組めば、金額こそ大した額ではなくても、意味があることなのだと思う。私達自身が環境問題の悪化を身近に感じてから寄付を始めることは自然なことだが、その前から寄付を始めることが出来れば素晴らしいことだと思う。
企業の原理的な存在理由である「利益を最大化すること」。つまり、生産と消費のサイクルが回ることを前提とする仕組みが、ある意味完成している現代のグローバル経済の中で、「地球環境を保全すること」を企業として実行するのは原理的に不可能だ。しかし、パタゴニアは、環境保全に資するという外部的な尺度を企業内に、かなり強引に持ち込むことによって、内部のイノベーションの原動力としているのだということがわかる。創業者とはそういうものなのかもしれない。そんな現実的な問題に取り組む責任は、新しい発想を持った他の企業を含めて、次世代経営者に委ねられている。それができれば真の21世紀型経営者と言えるだろうが、パタゴニア的経営が世の中の主流になるまでには、まだまだ時間がかかるかもしれない。また、パタゴニア自体、現実には他の大半の企業と同じく、CEOをはじめとする多くの経営幹部を外部に求めざるを得ない状況であり、「もしかしたら、私たち自身が企業経営を学びきっていないからかもしれない」と、イヴォン氏が認めるように、パタゴニアの経営手法にも課題はあり、それはまだ最終形ではない。パタゴニア自体、これからも進化していくのだろう。