【映画評】新海誠・アニメ作品『君の名は。』(★★★★★)

 コレド日本橋・東宝シネマで、話題のアニメ作品『君の名は。』を見てきた。東京で暮らす男子高校生(立花瀧)と、飛騨の山奥の女子高生(宮水三葉)の身体が、夢の中で入れ替わるという話でした。新海監督によると、入れ替わりのヒントは、平安期の「とりかえばや物語」にあるらしい。

 

 作品がとても神々しく感じられるのは、飛騨の山奥の舞台が、神社とその伝統的な儀式(口噛み酒)になっているからだろう。また、登場人物の女系家族、一葉(ばあや)、二葉(亡くなった母親)、三葉(主人公)、四葉(妹)は、巫女の血脈にある。どこか知らないところで、神様がわたしたちの運命を決めているという黙示が、この作品には埋め込まれている。だから、舞台の設定が神社なのである。

 物語をごく簡単に紹介する。不思議な夢の中での「入れ替わり」に気づいたふたりは、ルールを決めて、元に体が戻ったあとに困らないよう、互いの行動を日記に残しておくことにする。時空を超えて、しだいに互いの存在を親密に感じるようになるふたりなのだが、ちがう時間(3年の隔たり)、ちがう場所(奥飛騨と東京四ツ谷)にいるので、ふたりは同じ時空間に存在ができないというジレンマに陥る。

 ある事件が起こって(ぜひとも映画を見てください!)、夢の中でふたりは未来を変えてしまう。その8年後(5年後)に東京の街角でふたりは再会する。だが、互いの記憶からは、相手の名前が消し去られている。しかし、、、(詳しくは、WIKIを参照のこと)。

 

 期待にたがわぬ、すばらしい作品だった。アニメーションの作り方は、ジブリ作品の影響を強烈に受けている。しかし、画面の横移動の仕方や低いアングルからの絵を多用するなど、映像面では宮崎作品を超えている。宮崎監督は、若い新海監督の才能を強烈に嫉妬するのではないだろうか。ともかく新しい英雄が登場して、日本のアニメ界はひと安心だろう。

 この映画を見た人たちは、ひとりひとり感じ方がちがうのではないだろうか。というのは、この作品は、鑑賞者によって解釈の自由度が高いからだ。たとえば、わたしの隣の席で映像を見ていた女性は、ふたりが存在していた「3年の時間差」を知って、三葉が瀧より3歳年上であることに気づいた。女性らしい、とてもロマンチックな視点だと思った。たしかに、入れ替わりの瞬間、ふたりは同じ学年の高校生である。

 ところが、わたしはといえば、それとは別のことが気になって仕方がなかった。二人の年齢差などより、(A)飛騨山中の糸守町が隕石の衝突で壊滅してしまった世界と、(B)瀧と三葉の努力で糸守町の住民全員が救われる世界、とが複数存在していること。つまり、パラレルワールドの存在をどのように作者が説明するのか。その謎解きに、後半の鑑賞時間のほとんどを費やしてしまった。ストーリー展開が、本当に気が気ではなかった。

 

 「君の名は。」のもうひとつの新しさは、恋愛に対する「第六感」(そこはかとない、運命の誰かとの出会いの期待感)を上手に描き切っていることだろう。誰もが待ち望んでいる出会いの「必然」が、しごく肯定的に表現されているからだ。

 若い人たち(ローティーンズ)は、いつか誰にでも起こるはずの未来を想像しながら、二時間を楽しむことができる。わたしたちのように、すでに起こってしまった過去を引きずって生きている大人たちは、自分たちの出会いの必然を反芻しながら、上下左右に動いていく美しくも甘いアニメーションの画面にくぎ付けになる。

 そして、いま恋愛の真っただ中にいるふたりは、自分たちの恋の行方に思いをはせながら、隣の席で涙している相方の気持ちを忖度する。どちらにしても、普遍的なテーマを題材にとりあげたことで、老若男女それぞれがちがう視点から楽しめる映画に仕上げられている。

 

 映画鑑賞後、小説『君の名は。』を買おうとして、コレド日本橋の地下にある書店に寄ってみた。やはり文章で読むのはやめにした。全然ちがう物語にはならないだろうが、気持ちのよい感動の残り香は画像だけにとどめておきたい。わたしの直感が、うしろからもう一人の自分に指示していた。