10日ほど前(4月24日)に、安嶋くんから新刊本が届いた。著者の安嶋明氏は、ゼミの4年後輩である。わたしが大学院の修士課程に在籍していたころ、彼は学部の3年生だった。大型店の地方出店が激増し、日本各地で商店街が苦境に陥っていたころのことである。1976年、群馬県藤岡市にイトーヨーカ堂が出店した(*以下、「安嶋くん」と、くん付けで呼んでしまう)。
安嶋くんをリーダーに、経済学部の学生チーム4人が藤岡市周辺で、「大型店の影響度調査」を実施した。院生のわたしは、指導教授から、学部生のアドバイザー役を仰せつかった。
この影響度調査は、安嶋くんの在学中はシリーズで2年間に渡って続いた。もう一か所は、千葉県我孫子市での調査だった。最終報告書は、いまでも慶応大学の事例(ケース)として残っている。
後輩の書籍を紹介するために、こんな迂遠な昔話をするのには理由がある。2002年に、安嶋くんは旧日本興業銀行を辞めて、「日本みらいキャピタル」を創業する。本書の事業主体である「企業再生ファンド」の草分け的な存在である。
本書で採用されているアプローチ(ファシリテーション、継続的なワークショップ)は、わたしたちが45年前に藤岡市で採用した調査方法にルーツがあると感じている。あの当時、わたしたちが実施した市場調査には、当初から結論があったわけではない。仮説はあったが、現地での観察とヒアリング(エスノグラフィー的)から結論は導かれている。
同様に、経営の課題解決には、われわれが学校教育で教わったような「正解(成解)」が必ずしも存在しているわけではない。とりわけ中小企業の事業再生を導くためのプロセスで、それは顕著であろう。だから、大企業からカーブアウト(切り出した)した中小企業規模の事業を再生するファンド(日本みらいキャピタル)を運営する著者らは、中小企業の現場に入り込み、組織改革で試行錯誤を重ねていく。
本書のライティングスタイルも、そのプロセスを「同時進行ドキュメンタリー」として記述するという方法を採用している所以である。タイトルにある「学びほぐし」という概念は、あまり聞きなれない言葉である。英語表現では”Unlearning”(学習棄却)というらしい。これは、組織特有の「思考の枠」(従来からあるものの見方や行動様式)を捨て去ることを指している。
著者の信念が、冒頭の「第1章 企業はどのように再生するのか」で述べられている。中小企業の事業再生には、①普遍的な正解(ハウツウー)があるわけでもなく、②改革をトップダウンで指揮する大経営者に期待できるわけでもない。その通りだと思う。いちど勢いを失った事業を再生するには、短期勝負ではだめである。人材の再教育と組織変革を時間をかけて行う必要がある。
ところで、安嶋くんの処女作となる書籍を受け取ったとき、わたしはすぐに彼の携帯に短いメッセージを送った。
「近著、先ほど受け取りました.まだ1章しか読んでないですが、スタイルが独特なのが、安嶋さんらしいと感じました。すぐに通読してコメントが返せないので、とりあえずお礼の電話をしたかったわけです。小川より」
安嶋くんからはすぐに返事が戻ってきた。
「ありがとうございます。ぜひ宣伝をしてください。決まりきったスタイルなどがあるのでしょうか?」(安嶋)
「いや、決まりきったフォーマットがあるわけではないが、安嶋くんの書き方はユニークな感じがします。H社の設定なども。これは褒めてます。中身を読む前ですが」(小川)
「評価が変わらないことを願っています(笑)」(安嶋)
彼らしいコメントだった。しかし、わたしの直観に嘘偽りはない。
さて、翌日になって時間ができたので、本書を慎重に読み進めた。読了後に短い感想文を彼の携帯に送った。
「ざっと読み終わりました。
1.文章うまい
2.構成がユニーク
3.コンセプトも明確
4.エスノグラフィーを組織変革の事例に使うことに違和感はなかった
5.新しい書き方だと思います。
質問、読者に誰を想定するのか?
ファシリテーションのステップ全体の俯瞰図があればもっと良い」(小川)
わたしの感想の詳細は省くが、それぞれの項目については簡単に説明することにする。
1 安嶋君の文章がうまいのは、彼自身がエッセイスト(財界人文芸誌の編集世話人)だからである。文体が簡潔なのは、「地頭」が良いのと、文章を書くセンスの問題である。ここは、本心から褒めている。
2 ユニークな構成は、一方的に論理性で読者を説得するスタイルを採用していないこと。現場のありのままの姿を、観察をベースに伝えようとしているからである。エスノグラフィーの手法で、H社という個別事例に焦点を絞っているので、特殊ケースになりがちだが、そこは同じく再生に成功した3社の事例で普遍化を試みている。
また、社員からアンケートデータをとって、社員の意識・態度変容を時系列変化で示している。ここには、大学院に再入学している著者の科学思考が入り込んでいる。
3~5 コンセプト(学びほぐし、大経営者待望論批判、ハンズオンの事業再生など)が明確であることは論を待たない。著者への最初のメールでも、「アプローチがユニーク」と返信した。いまのところ、企業運営の実際を扱いながら、この著述方法で成功できたのは彼が初めてである。それくらいユニークな書き方である。
ちょっと褒めすぎての感も無きにしもあらずかもしれない。しかし、評者にしてはめずらしく、いただいた本を二度も読み直してみた。それくらい、取り上げられているコンテンツそのものが興味深かったからである。そして、H社の将来にエールを送りたくなった。また、EXITしたK社など3社の将来を、いまでも気にかけている著者の真摯さに好感が持てる。
最後になるが、20年前に、「旧興銀をやめて、事業再生ファンドの会社を立ち上げたいと思っているのですが」と、わたしのところに相談にやってきた著者の真剣なまなざしを思い出している。その後、わたしも個人的に、日本みらいキャピタルのアドバイザー役を引き受けることになった。それから20年間、著者の経営者ぶりを見守ってきたつもりでいる。
もしかして10年~15年後には、大手都市銀行のトップ経営者になれたかもしれないエリート社員の道を捨て、当時の日本であまり知られていなかった事業再生ファンドの会社を興すことに彼は決断した。本書を通して、著者が自らの人生の後半部分を、余すことなく書き終えることができたことに乾杯である。