【柴又日誌】#104:わんすけのお仕事は?

 午後は、小学校一年生の穂高のお守りの役目をいただいた。日曜日は、隔週くらいのペースで、マラソン大会でレースを入れている。翌日は疲れるので、月曜は自宅にいることが多い。大学の教員をしていたときも、月曜日の授業や仕事は避けてきた。そんなわけで、わんすけの月曜のスケジュールを見越して、先週末にアズちゃんからお仕事をいただいた。穂高の英語教室への送りの仕事である。

 

 自宅から歩いて5分のところに、大きなヨーカ堂がある。その3階が一隅が、英語教室になっている。京成高砂の駅前まで歩いて行く間に、交通量が多くて自動車が飛ばしてくる通りが一か所ある。一緒に歩いて穂高を保護するのが、じいさんの役割である。

 教室まで歩いて行く途中で、穂高に「わんすけって、なにをしてるか知ってる?」と質問をしてみた。去年までは、大学の先生をしていたことはわかっているらしい。「前は、大学の、、、、」と答えて、そのあとは、はにかんで黙ってしまった。まさかマラソンの選手だとは思っていないだろう。

 わたしが質問をする前には、「(穂高を)送った後、わんすけはわくわく(整骨院)にはいかないの?」と逆にわたしに聞いてきていた。いまでも、自宅のパソコンで何やら仕事をしていることはわかっているはずだ。仕事部屋と2階の書庫には、本がたくさん積んである。市ヶ谷の研究室に来たこともある。

 わたしの仕事部屋に入って来て、妹の夏穂と椅子を奪いあうこともある。くるくる椅子を回転させて、おもしろがって遊んでいる。

 

 この話を家族LINEに書きこんだら、帰宅途中の電車の中からかみさんが返信してきた。「そういえば、子供たちが小さいころ、(わんすけさんを)野球選手だと思っていたこともあったわね」と。当時は、市川に住んでいて、タイロースという草野球チームに所属していた。いまは、マラソンランナーに宗旨替えしている。穂高は、わんすけが整骨院まで治療に通っていることを知っている。

 わたしは自宅が呉服屋だったので、両親の職業は当たり前のように知っていた。一般家庭では、それは例外なのだろう。ほとんどの家庭では、オフィスに務めている親の仕事はわからないだろう。子供が小さいころのわたしのように、子供たちは日曜日のわたしの姿を見て職業を判断してしまう。

 穂高と夏穂の両親は、新幹線という現場を持っている。だから、両親の仕事は3歳のころから自明だった。鉄道の運転士さんや乗務員さんの仕事は、その意味では非常にわかりやすいのかもしれない。わたしの両親も自営業だったので、子供たちに仕事の内容は目に見えていた。