昨年の夏に、3人の子供たちのために、手書きで遺言状を書いた。自筆の遺言状は、そもそも法的に有効なのだろうか?よくはわからない。70歳の最後の仕事と思い、わたしの死後に家族に問題を残さないように。そう考えてのことだった。誕生日の2か月前に、身辺の整理もかねて財産の目録を作成してみた。
あれから半年が過ぎて、新しい年を迎えている。すでに2ヶ月。今年からは、記録を活字で保存して残しておこうと思っている。財産目録(不動産)と金融資産(預貯金や株式など)は、残す相手を誰にするのか。こちらも、きちんと仕分けしておいた。いい加減に生きてきたわたしにしては、財産分与についてはわりと慎重に事を進めている。
身内や友人たちを見ていると、両親のどちらかが亡くなった後で、財産分与をどうするかで揉めているケースが多い。裁判に持ち込まれた事例もよく見かける。もっとも子供たちには、互いに揉めるほど多額の資産を蓄えてきたわけではない。50年間で蓄えたお金と不動産はたかが知れている。
兄弟げんかになるのは、財産の多寡が問題ではないように思う。その後の兄弟げんかは、親の方に責任があるように思える。自分が死ぬ前に、子供たちに対してある種のパワーを残しておきたいと思っているのだろう。財産分与で紛糾するのは、財産の分配を明示しないまま亡くなる親がほとんどだからだ。他山の石、教訓である。
そうなのだ。いつのころからか、そんな世間の様子を見ていて、財産分与の方法を子供たちに明示すべきだと思うようになった。子供たちを信じないわけではない。仲良くやっていると思っているが、人間はいざというときにどのように心変わりをするかわからない。公明正大に、誰が見ても公正な財産分与を生前から宣言することにした。昨年の夏のことである。
昨日、昨夏からの財産の変動部分を評価してみた。コロナの影響で、この一年間は、海外はおろか国内旅行も数えるほどの回数だった。大学を定年退職してからは、基本的に取材のための交通費や宿泊費は、会社(有限会社オフィスわん)が負担している。それも大した金額ではない。
コロナ前までは、地方のマラソン大会に参加していた。一時期は、最大で年間41レースを走ったたことがある(エントリーは52レース以上)。いまは都内のいくつかのレースに、しかも飛び飛びにエントリーしているだけである。もちろん、マラソンのエントリーフィーは個人負担である。
個人的な支出は、友人たちとの飲み食いだけである。それほど多額になることはなかった。退職してからは、立派な着物をやまとで仕立ててもらった以外は、洋服も大して買う必要もない。高額の衣料品は、女性もののモンベルだけだ。結局、3年間で経費が極端に減っている。
収入の方はと言えば、春先から年末にかけて2冊の書籍(ロック・フィールドとホームデポ関連)が刊行された。契約が定額の仕事だったので、たくさん売れるかどうかは印税には無関係だった。それでも、そこそこの収入になっている。オンラインセミナーや研修の仕事も数件、そこその数を請け負っている。コンサル契約も在職中とほぼ変わらない。いや増えたくらいだ。
有限会社の社名を「オフィスわん」に変更してからというもの、業績は上向きである。創業25年で、2022年度は上々の売上だった。利益の方は、過去最高を計上できた。そして、累積赤字をほぼ一掃することになった。今季からは、きちんと役員報酬を支払うことにした。わたしは密かに、この蓄財を「コロナ貯蓄」と呼んでいる。
というわけで、子供たちに残すべき財産は、この一年間でずいぶんと積みあがっている。それでは、財産目録の正式な修正に向かうことにしようか。