正月休みに高砂のわが家に滞在していた長男家族4人が、新幹線で神戸に戻って行った。一昨日のことである。帰宅後すぐに、孫娘(さら)からインタビューの依頼が来た。どうやら冬休みの宿題に協力して欲しいらしい。
クラスで「職業調べ」の課題が出たという。さらは、昨年の春から中学校に進学している。高砂滞在中は、みんなで凧揚げをしたりで、わが家の直系の4家族が仲良く遊んでいた。孫娘にリクエストをされることは、爺さんとしてはとりあえずは嬉しいことだ。
母親のスマホを借りて、本人がLINEに依頼文のメールを送ってきた。添付の画像には、課題①~⑮まで、質問項目がリストアップされている。例によって、「さら坊」らしく、少しばかりおちゃらけた依頼メールではあった。
「さらどすえ。身近な人の職業について調べる課題が出たので、わんすけ(わたし)の仕事について色々と教えて欲しいです。
上のプリントの質問(送信画像)させてほしいです。
今日の夜電話していいですか?
何時くらいがいいか教えてください。
よろしくお願いします。」
依頼のメールを送ってきたあと、家族4人で近くの神社に初詣に行くことにしたらしい。母親の奈緒さんと電話で話して、ファミリーの行動予定がわかった。その後は、夕方まで連絡が途絶えた。
その間にわたしは、書斎兼寝室の仕事机に向かって「想定回答集」をワードで作成しておくことにした。以下のファイルは、先回りして作っておいた「職業調べレポート」の予稿集である。大学教授としての職業の説明に続いて、「いつ、なぜ、その仕事を選んだのか」など、質問項目への回答がリストアップされている。
詳細すぎるくらいの説明を事前に準備しておいた。LINE電話を介してのインタビューは、夕方からになる。回答集のファイルは、母親のスマホに事前に送っておいてあげることにした。
ただし、奈緒さんには、「回答集のファイルを、前もって娘には見せないように」と注意しておいた。説明文を読んでしまうと、本人がわたしをインタビューする意味がなくなってしまうからだ。推測だが、先生が子供たちにこの課題を出した狙いは、自分でインタビューをしてメモをすること。
さらに聞いたところによると、インタビューでメモを作成した後で、発表用のパワポを作ることになるらしい。先生が生徒にパワポを作らせるということは、その先には教室での発表(プレゼンテーション)が待っているということだろう。
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「職業調べレポート」 1年〇組✕番 小川さら
1 職業名(職種)
大学教授(教育職)
2 インタビュー相手(自分との関係)
小川孔輔(祖父) ニックネーム:わんすけ先生
3 年齢・経験年数
74歳(定年時:70歳)・在職46年(1976年~2021年)
4 仕事の内容
①教育活動(授業、大学院生の指導など、週5コマ)
*1コマは、90分or180分
②研究活動(論文執筆、研究組織の運営)
③原稿執筆(書籍は全54冊、新聞雑誌の連載が2本/月)
④大学の管理業務(学部長・学科長、前後3回)
⑤学会活動(学会長、グループ研究代表者)
⑥講演活動(新聞社や企業からの講演依頼、テレビ・ラジオ出演など)
5 仕事の時間帯
① 大学の授業:週5コマ程度(夏休み・冬休みあり)
② 論文や新聞記事の原稿執筆:この仕事は働く時間が定まらず
③ 管理運営的な業務:不定期
6 この仕事に就こうと決めた時期
・大学3年生の秋学期
3年次の専門授業科目(マーケティング論)の担当教授(大澤豊教授)と教室で直に交渉して、4年次生から大学院の授業に参加することになった。今で言う、自分から勝手に申し込んだ「インターンシップ」(企業研修)
7 この仕事を選んだ理由(3つ)
① 【自分の都合】本を読むのが好きだった(会社勤めではそれが自由にできなくなる)。
② 【隠れた能力】現場取材や調査データの分析、学術研究の資料整理が得意だった。
③ 【将来の夢】将来は作家になることを目標にしていた。そのためには、とりあえず、
書籍や論文などの文章を書いて、なおかつお金が稼げる教授職を選んだ。
8 必要な資格・免許
・研究能力については、大学院レベルの学位(修士号、博士号)
・ただし、教育に関しては、小中学校の先生とちがって「無資格」でもよい
9 この仕事はどのような人に向いているか?(3つの能力)
① 高度な読み書きの能力(非凡でない学力と洞察力)
*文庫本ならば、時速60~80頁の読書速度(1頁60秒のスピード)
*新聞のコラム(1200文字)を、一時間以内(30分~60分)で書いてしまう。
*一冊の本(200頁~300頁)を、ほぼ100日で執筆完了(1日2~3頁)
② 強靭な知的体力と忍耐力(折れない心と身体の強さ)
*10年以上を掛けて完成させた本が5冊ある。
③ 強いリーダーシップ(グループをまとめる力、他者からの信頼)
*共同研究のため、文科省から研究補助金を12年間連続で獲得した
10 この仕事の難しさ・苦労したこと
① 3つの能力は、生まれつき備わっているものもあるが、実際には仕事を通して学ぶことが多い。
だから、普段の努力が大切になる。しかし、
② 時には多くの人を巻き込むので、メンバーの調整が上手くいかないこともある。
内輪の喧嘩を上手に収拾できず、何度も失敗したことがあった。心が折れた。
11 この仕事の楽しさ・やりがい
① 研究活動
グループで取り組んだ研究プロジェクトや書籍が完成した瞬間は、至福の時である。
その成果が高い評価を受けたときの満足度は、曰く言い難い格別のものがある。
② 教育活動
・自らが指導した学部生や大学院生が成長していく姿を見ること。
在職46年間で、2万人を近くの学部生・大学院生を教室で教えてきた。
・現在、企業や教育機関で働いている元学生ゼミ生が約400人、
元大学院生約200人が、卒業後には社会で活躍している。
・そのうちの約20人が、自校や他大学で大学教授になっている。
12 仕事へのこだわり、大事にしていること、モットー
① 「仕事の成果」を独り占めしないこと
書籍などで共著者がいる場合、共同研究者の成果の方を前面に出すようにしている。
自分は一歩下がって、執筆者としては2番手・3番手に見えるようにすること。
なぜなら、若い研究者は組織の中で昇進するために業績が必要だから。
② 「支援者(アシスタント)」を大切に扱うこと
あらゆる仕事には、自分を陰でサポートしてくれる支援者がいるものだ。
その人たちへの感謝の念を忘れないようにすること。そして、
言葉に出して感謝の気持ちを伝えること。次に機会があれば、彼女たちは研究を助けてくれる。
③ 「異業種交流」を積極的に行うこと
研究分野や専門が近い人ばかりでなく、少し専門分野が離れている人たちとの交流を大切にしてきた。例えば、言語学者や文学者、農学者やプロ経営者たちなど。
また、花の生産者や下町の商業者など、市井の人たちとの交流も豊かな研究にとっては大切である。
④ 「人はみな平等である」と心の底から信じている
年齢や性別、学歴や職業、社会的な地位や国籍、あるいは貧富の差で、人を差別することはしてこなかった。これが自然にできている人は、案外と少ないように思う。
それとは逆に、偉い人たちに対してあまりにもヨイショをしないので、そんな人たちからわたしは顰蹙をかっていたかもしれない。
13 今の中学生にひと言お願いします。
・自分のやりたいことを早めに見つけて、あとは、それに向かってまっしぐら。
14 その他(自分でしたいことを考えよう)
① 小さいころの夢は何ですか?
物書きになること(教授になってからも、たくさんの本やエッセイを書いていますが)。
② 仕事に行き詰ったときはどうしていますか?
マラソンを走るか、お酒を飲むかして、気分転換をしています。
③ 何のために仕事をするのですか?
(1) 自分で設定した目標(身長の高さまで本を積み上げる)を達成するため
(2) 美味しいものを食べるために、必要なお金を稼ぐ!
(3) 仕事を通して仲間を増やす(さみしがり屋さんなのです)
④ この仕事を漢字「一字」で表すと?
「向」(孫娘の感想)
15 (インタビュー後)自分の感想
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奈緒さんから電話が来たのは、夜の19時半過ぎだった。わが家では食事が終わって、わたしは眠りに就こうとしていた。それでも孫娘のためにと思い、ベッドから起き出した。LINEの画面で話すことになるので、面倒だったがパジャマから洋服に着替えた。
スタート時に奈緒さんのスマホがトラブってしまった。代わりに息子のスマホを借りることになった。インタビューのスタートは、20時を過ぎていた。質問項目は相当のボリューム(全14項目)があった。インタビューは延々と続くことになった。さらには、自分から質問項目を読み上げるように指導した。理解ができないときは、自分がわかるまで繰り返して質問するように言った。
インタビューの終了時刻は、21時半を回っていた。中学生の子供にとっては眠たかったようだ。スマホの交信記録を見ると、さらと話していた時間は1時間30分57秒。終了時刻は、21時44分だった。
「職業調べレポート」は、冬休みの期間中に、たまたまクラスで出された宿題だった。神戸の両親に、さらは誰に話を聞くべきかを相談したことだろう。職業としてすぐに頭に浮かんだのが、わたしの教授職だったはずである。
神戸の4人家族は、2022年2月12日に執り行われた「小川教授の最終講義」(@法政大学市谷キャンパス講堂)に参列するため、わざわざ神戸から上京してくれていた。大教室の椅子に座って、さらはわたしの最終講義を聴いていた。昨夜もそのことを尋ねたら、「うん、覚えている」と応えてくれた。
大学で教えることができる職業を選んだことは、孫たちに対しても誇れることだった。その他の仕事を選んでいたら、孫たちから職業選択のことでインタビューを受けることはなかっただろう。そうだ、さらに話すことを忘れていた。
大学教授の職業は、社会的に意味のある仕事である。社会に貢献できる職業だった。たくさんの学生たちを教えて、日本の未来を創ることに貢献できた。誇るべき仕事だった。いまも物を書くことで、それは続いている。


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