また一軒、コロナの余波で老舗が消えていくことになった。「川甚が閉店になるらしい」というニュースは、街の噂で聞いていた。確かめてみると、12月に閉店が発表されていた。コロナの感染拡大がはじまる前、商売は順調そうに見えた。インバウンド需要で潤っているようで、駐車場はいつも観光バスで満車だった。
その順調なビジネスが、3月で暗転する。緊急事態宣言が発令された後、二ヶ月ほど川甚の店は閉じられていた。宣言解除後に、帝釈天の参道にある川千家(かわちや)やゑびすやなどはすぐに営業を再開した。ところが、川甚だけは玄関のドアが閉まったままになっていた。川甚の店は、わたしのマラソン練習コースの途中にある。怪訝な気持ちでその様子を眺めていた。
夏前にようやく店の営業が再開された。ところが、注意して見ていると、週末は店が閉じたままになっている。不吉な予感がした。インバウンド客と地方からの団体客がメインであれば、かき入れ時の週末になっても客は戻ってこない。だから、週末は閉店しているのだろうと思っていた。
雇っている従業員も相当な数になるはずである。ご近所さんからの情報では、会社として近くに従業員専用の寮などをもっているという話を聞いていた。コロナ前の人手が足りないときは、それが有利に働く。ところが、商売はいまやインバウンド客と団体バスツアー頼みになっている。週末に団体客が来なければ、商売は成り立たない。
今度のように需要が低迷しても、小さいうちは家族だけで店は切り盛りできる。しかし、商売を拡張して多くの従業員を抱えてしまっている。売り上げが消えてしまえば、万事休すである。しかも、この苦境は一時的なものではない。コロナで先の見通しも立たない。商売を大きくした段階で、借金もふつうの大きさではないのだろう。
運が悪いと言えばそれまでのこと。創業寛政2年(1790年)の老舗の経営に、終止符が打たれることになった。
わたしは、うな重や鯉の洗いなどの川魚料理が好物である。柴又に移住してきた理由のひとつに、川甚や川千家のような下町情緒のある老舗が好きだったことがある。
5年ほど前のことである。千葉から東京下町への移住を検討していたときに、街ランで水元公園まで走ってみた。移住先を探すために街ランをして近所の様子を探索したわけである。その帰りに、途中でお昼を食べたのが川甚だった。その昔、葛飾柴又の花火大会を観覧しに来て、うな重を食べて美味しかったことを覚えていたからだった。
ランチタイムに、テーブルに回ってきたのが、川甚の若社長さんだった。話してみると、彼はその昔、中央大学教授の三浦俊彦さんの院生だった。学部時代に、わたしのテキスト(『マーケティング入門』日本経済新聞出版社)を読んでいた。ついでに、近所の不動産屋を紹介してもらったのだが、その後は音信が途絶えていた。
そのままで、二年前にわたしたちが高砂に引っ越してきたことも知らせていなかった。紹介してくれた不動産屋さんが、真剣に土地の物件を紹介してくれなかったからだったが、たまたま縁がなかったのだろう。そう思っていた。
「老舗川甚の閉店」の知らせは、ご本人に声をかけてみようかと思っていた矢先のことだった。二年前にここに引っ越してきて、ご近所さんになりました。お知らせのついでに、川甚に予約をいれてみようと思っていた。
どうやら、そのタイミングを失ってしまったようだ。でも、あと一か月弱の時間が残されている。