昨日の朝早くから、神宮外苑前で定例の会議があった。時間が早いので電車が混むに決まっている。「嫌だなあ」と思いながら、いつものように最寄駅の京成高砂から浅草まで各駅停車に乗った。2つ目の四つ木駅で、運良く四人がけのボックスシートが空いた。端っこに座ることができて、やれやれと思った。
青砥から3つ目の八広駅を過ぎたところで、前に立っていた二人の女性が突然、言い争いになった。何が起こったのかわからない。どちらかがどちらかの体を押したらしい。「押さないでよ!」から始まり、「何言ってんのよ。あんたが押したからでしょ」と剣悪な雰囲気になりそうだった。
この頃、京成電車の運転士さんたちの運転が下手になったように感じる。朝の通勤時間帯は、混雑しているので電車の間隔が詰まってしまうからだろう。急ブレーキをキツくかけることが多い。
この頃、京成電車の運転士さんたちの運転が下手になったように感じる。朝の通勤時間帯は、混雑しているので電車の間隔が詰まってしまうからだろう。急ブレーキをキツくかけることが多い。
そんなことがあって、乗客の二人の体が接触したのだろう。よくあることなのだが、精神的に余裕がない人たちは、ちょっとしたことでも喧嘩腰になる。困ったものだ。
そういえば、先月も、JRの総武線で同じような場面に出くわした。酔っぱいの若者が、何故かわからないが、前のシートに座っていた老人に因縁をつけて殴りかかりそうになっていた。足を踏まれたとか、なんか言っているようにみえた。老人のほうが一瞬殴られそうになっていた。
危機を察したので、わたしは秋葉原駅で電車から降りて、ホームの非常ボタンを押した。駅員さんが来てことなきを得たが、こんな揉め事は日常茶飯事にあるのだろう。
危機を察したので、わたしは秋葉原駅で電車から降りて、ホームの非常ボタンを押した。駅員さんが来てことなきを得たが、こんな揉め事は日常茶飯事にあるのだろう。
いちゃもんをつけていたのは、変な若者だった。あとでTwitterを見たら、問題を頻繁に起こしている札付きのようだった。乗車率200%で満員電車を動かしている鉄道も問題なのだが、体が触れただけで喧嘩になるギスギスした社会にも問題がある。実に情けない。
それはさておき、二人の女性たちは険悪な雰囲気になっていた。そこで、難癖をつけられているほうの女性に声をかけ、わたしは立ち上がって席を譲った。女性は、ささっとわたしの席に滑りこんで座った。瞬時の判断だった。
わたしが席を譲ったので、無事に座る場所を確保できた女性は、わたしに向かってなにやら言い訳をしたそうだった。しかし、どちらに正当性があるかはどうでも良いことで、わたしとしては二人の距離を離したかっただけだった。
秋葉原駅のホームでも、老人を若者から引き離すために、緊急停止ボタンを押した。その行為と同じ意図である。気持ちがすさんでいる人たちには、物理的に距離を離してやることが肝心だ。
秋葉原駅のホームでも、老人を若者から引き離すために、緊急停止ボタンを押した。その行為と同じ意図である。気持ちがすさんでいる人たちには、物理的に距離を離してやることが肝心だ。
立っている方の女性も、何やらわたしに向かって自己弁護したそうだった。そんなことはどうでもいい。その他の乗客は二人の争いのどちらに正当性があるかに興味はない。静かにしてほしいだけだ。
些細なことで、朝の静かな時間を壊されるのは堪らない。そのむかしから、満員電車で乗客同士が接触することはあったはずだ。でも、この頃は電車の中で、つまらない諍いの場面に出会すことが信じられないくらいに増えている。
20年前に比べて、日本の電車痛勤事情は変わっていないはずだ。それなのに、電車内での乗客同士の諍いが目に余る。一体全体、この国はどうしたことになっているのだろう。日本の社会はどこか壊れかけているのではないのか。
そんなことを考えながら、電車内で随分とお節介をしている自分がいるので笑ってしまう。こんな変な義侠心をもっているために、いつか殴られてしまいはしないかと危惧しながらである。誰も他人の揉め事には関心がないらしく、わたしのように間に割ってはいろうとはしない。