【柴又日誌】#192:思い浮かばない人名と花の名前、なぜだろう?

 わたしはランニングが趣味なので、「走っているときに何を考えているのですか?」とよく聞かれることがある。大学の先生だったころは、書籍の構成や論文のアイデアで行き詰まったときに、「案件(課題)を頭の中でこねくり回しながら」走っていた。学部長やJFMAの仕事が忙しかったころは、苦労しながら抱えていた問題は、組織のマネジメント上の課題が多かった。それは、時代によって変わっていっていたように思う。
 

 いずれにしても、当面している何らかの課題を解くために、必死になって走っていたことは同じである。ところが、ある程度の距離を走らないと、難しい問題の解法を思いつかなかった。
 自分の頭の中を分析してみると、おそらくなのだが、脳内に散らばっているファイルの情報を、うまい具合に結合したり、データの塊を切り離したり、不要な情報をゴミ箱に捨てて整理していたのだろう。
 昨日も、自宅から水元公園まで走ってきた。そのときにあることが起こった。考えごとをしている途中で、人名や花の名前が思い出せなかったのである。それとは逆に、走っているときに、忘れていた単語や過去のイベントが突如、現れるという現象もしばしば起こった。
 具体的に言えば、江戸川の水際を走っていて、1967年にヒットした「小指の思い出」(伊藤ゆかり)のメロディーが頭の中に流れてきた。そして、「あなたが噛んだ小指が痛い。昨日の夜の小指が痛い、、、」という歌詞の最初のフレーズを思い出した。
 わたしはこの歌がヒットした当時、高校一年生だった。何も考えずにこの歌を聴いていたはずだが、(笑)走りながら疑問に思った。当時のわたしは、「なぜ彼女は彼氏に小指を噛まれたのだろう?」と疑問に思わなかった。でも、あれから57年後に、突然ふと疑問に感じたのだった。
 ネットを見るとわかるが、どうでもいいような理由が3つあげられていた。

 これとは逆に、なかなか思い出せない人名や単語があることに、ある時から気がつくようになった。しかも、思い出しにくい名前や単語は、システマティックにあるように思うのだが。その理由が今でもよくわからない。
 例えば、瞬間的に思い出せなくなってしまう花の名前がある。ハイビスカスとクレマチスである。あるいは、人の名前ですぐに出てこないのが、次男の嫁、梓(アズちゃん)の旧姓・高島である。
 一昨日も、孫の穂高の小学校で運動会があった。アズちゃんのご両親に高砂まで来ていただいた。夕食も一緒だったのに、高島さんご夫妻の名前がすぐに出てこなかった。うーん、なんでだろう?デパートの髙島屋との連想で思い出しそうなものだが、、、

 かみさんからは、そろそろ認知機能が危うくなっているのではないか?と怪しまれている。しかし、その単語がすぐに出てこないのには、きっとなんらかの理由があるように思う。高島さんの場合は、デパートの高島屋に「関連付けること」で、想起機能は回復できそうだ。でも、ハイビスカスやクレマチスは、どうしても連想のキーが思い浮かばない。

(*)ここまでは、昨日の夕方に書いた文章である。続きは、高砂のイタリアン「た喜ち」から戻ってきてから。しばし休憩。

 

 

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