2007年12月31日夕刻、埼玉県比企郡小川町の「ファッションセンターしまむら、小川店」。退職後に店の手伝いをしていた、しまむら7号店(児玉店)の伊藤孝子さんと出会った。年末の繁忙期だけのパート業務だったらしい。伊藤さんに、創業者の島村恒俊さんを紹介していただく幸運に恵まれた(小川町・児玉町訪問記録(児玉店7号店跡地、ファッションセンターしまむら小川店) | 小川先生 のウェブサイト (kosuke-ogawa.com)。
何度か島村さんをインタビューした後、2008年から2009年にかけて、『チェーンストア・エイジ』(当時、ダイヤモンドフリードマン社)で「小川町経営風土記」の連載がはじまった。この連載は、2011年に、『しまむらとヤオコー』のタイトルで、小学館から刊行された。
その後も、誕生日(3月8日)のバラのプレゼントで、島村さんとはお付き合いが続いていた。残念ながら、バースデーのプレゼントは、今年3月が最後になった。創業者の島村さんが、7月13日に老衰のために逝去されたからだ。享年98歳の長寿だった。
その直後に、NHKやフジテレビ、雑誌社から、わたしのところに何件も電話がかかってきた。番組を作りたいので、島村さんの写真がほしいとのことだった。小学館の園田健也さん(書籍の編集担当)からも問い合わせがあったが、島村さんの写真を見つけることができなかった。
2007年前後の写真は、デジタルのものは残っていない。また、沼のほとりにあった島村相談役(伊藤孝子さんの島村さんの呼び方)のご自宅を訪問した際に、ご本人の写真は撮ったはずだった。しかし、自宅や研究室の引っ越しで、アルバムがどこにあるのかわからなくなっていた。
一昨日、日本経済新聞社の田中陽編集委員から、電話があった。用件は、「来週の金曜日に、亡くなられた島村さんの追悼文を掲載します。もしお持ちでしたら、お写真を拝借できません?」というリクエストだった。これまでの事情を話してお断りしようとした。が、もしかしてと思い、伊藤孝子さんに連絡をとってみることにした。
というのは、伊藤さんたちはしばしば、島村さんご夫妻と温泉旅行をしていたことを知っていたからだった。旅行の時の写真をお持ちのはずだから、連絡をしてみることにした。
出版の際に、献本のために伊藤さんと連絡をとったのが最後だった。2011年春から13年振りである。連絡先は固定電話(小川町大塚のご自宅)の記録が残っていた。3回のコールで、伊藤さんは電話口に出られた。わたしのことはすぐにわかった。お元気そうだった。
わたしから追悼文のことを話したところ、対応をしてくださるとのことだった。島村さんのお写真は、しまむらの本部(企画室)に預けてあるらしい。「しまむら興産」(資産管理会社)に在籍している長男さんに、連絡をとってくださった。
無事に、長男のヒロユキさんと連絡がとれた。すでに、しまむらの企画部には、父親の写真を手配済みだった。週明けに、田中さんが直接、企画室の女性に連絡をしてもらうことになっている。
田中さんもしまむらさんとは、何度かインタビューをされている様子だった。どのような追悼文になるのか、いまから楽しみである。
この幸運も、人との出会いを大切にしたきたおかげである。伊藤孝子さんには、お礼になにか贈ってみたいと思っている。もしかすると、誕生日がわかれば、バラの花束をプレゼントするとか。
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