【柴又日誌】#199:46回目の「結婚誕生日」

 昨日(2月24日)、わたしたち夫婦は、46回目の結婚記念日を迎えた。3階に同居している孫の夏穂は、結婚記念日のことを「結婚誕生日」と呼んで、わたしたちを祝ってくれた。6歳の保育園児らしく、とても可愛らしい呼び方だった。
 
 1979年2月24日は、とても寒い日だった。わたしたちは寒空の下、板橋区にあるバプティスト教会で結婚式を挙げた。どちらの両親からも反対されての結婚だった。結婚式に参列してくれたのは、兄弟姉妹や友人たち約30人。式後は、板橋駅近くの鮨屋でわたしたちのために披露宴を開いてくれた。
 結婚式から披露宴まで、すべてを企画・調整してくれたのは、そのころは「銀座ミキモト」に勤務していた青山顕くんだった。秋田の中学・高等学校で同期だった彼は、昨年の冬に病気で帰らぬ人となった。同郷で同期の加藤祐悦君から、そのことを昨年末になって知らされた。
 最後に会ったのは、コロナ前の2019年頃だったと思う。加藤とふたりで、青山が住んでいた西船橋駅の辺りで再会した。すでに糖尿病が進行していて、視力がずいぶん低下していた。彼には感謝をしてもしきれない。しかし、結局のところ、わたしは青山に何のお返しもできなかった。

 ところで、昨夜は、ふたりだけの「結婚誕生会」になった。どなたかからお祝いにもらった(笑)、高級なシャンパンの栓を開けたところ、コルクが真っすぐに上に飛んで、キッチンの天上に当たった。
 直前に、かみさんが駐車場で車のバックに失敗して、軽自動車を自宅の壁に激突させた。愛車のダイハツ・コペンはテールランプが破損して、車は植木鉢に乗り上げた。トランクの上部も壁に擦れて、少し傷になってしまっている。その直後だったので、シャンパンのコルクが天井のライトに当たって破損したのでは?とひやりとした。
 失意のかみさんは、それでも夕飯のパエリアを準備してくれた。モッツァレラチーズとウインナーをスモークして、ふたりシャンパンで乾杯した。「結婚から46年、一瞬だったよなあ」とふたり顔を見合わせ、シャンパンを一本丸ごと空けてしまった。そのあとでわたしは、赤ワインのグラスを手に取った。

 先週の日曜日に、さくら市のハーフマラソンを完走できた。
 往時のタイム(サブ2)には及ばないものの、最後まで歩かずにゴールできた。半年ぶりの快挙だった。どうやら両ひざの痛みが取れて、両足の関節がもとの状態に戻ったようだ。5年前に戻ったようで、カラダの調子がとてもよろしい。だから、飲み始めると止まらなくなった。
 アルコールの酔いで深く眠ったまま、夜中に一度だけ目が覚めた。ふと目の前にある拙稿『ローソン』(3月24日発売予定)の最終ゲラを手に取った。寝室兼用の書斎の暗がりで、プロローグを読み始めた。
 とうとう2時間を掛けて、6章まで読み切ってしまった。眠い。

 前日に、かみさんの元上司と一緒に、寿司ダイニングすすむさんに行った。道すがら、花屋さんに寄ることにした。わざわざ高砂まで来てくれる職場の元上司(Sさん)に、かみさんが花束をプレゼントするためだった。Sさんは、松田聖子の大ファンである。
 赤いスイートピーは置いていなかった。この時期だから、おそらくは宮崎産のものだろう。白いスイートピーを3本。それに香りの良い沈丁花を添えて、「花と緑」の店主さんがシンプルな花束を作ってくれた。
 「沈丁花、香りがすっごくよいですよ」が店主のおすすめの言葉だった。店主の一押しだった沈丁花をSさんに渡すとき、わたしからは『ローソン』(PHP研究所)の再校ゲラを手渡した。赤字を入れる前の印刷したままの原稿である。念校まで終わったので、誰かに差し上げようと思っていた。
 夜中に目が覚めると、SさんからLINEにメールが入っていた。短い感想のメッセージが残されていた。
 「ローソン本、まだ50ページまでしか読んでないですが、プロジェクトXみたいで面白いです。サラリーマンは好きだと思います。あと、この本って生きた教材として学生さんにはすごい勉強になると思いました」(Sさん)。

 わたしからも、朝方になってSさんに返信しておいた。わたしとSさんは、京都に住んでいる娘のホテルで一晩、同室になったことがある。プライベートなどでも、互いに良く知った間柄なのだ。
 「ポジティブな感想ありがとうございます。何せ、7年間もかけて取材とインタビューをしてます。このローソン本が売れないと、わたしはビジネスライターとして失格になります」
 本当のことである。いまのわたしは正念場にいる。寿司ダイニングすすむさんのカウンターで飲んだとき、ペンネーム(小石川一輔)で書いた『わんすけ先生、消防団員になる。』(小学館スクウェア、2023年)を、カウンターに座っていたご夫妻に見てもらった。
 たいそう評判は良かったのだが、この先もその線(小説の路線)を捨てたわけではない。かつしか文学賞はさておくとして(今年度は応募しないつもりでいる)、いまだ直木賞の受賞は諦めてはいないのだ。笑  
 
 

 

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