横浜にお住いの恩田さんが、いま現在(10時50分)、京急線の電車で柴又駅に向っている。わたしは、12時7分に京成高砂駅発の電車で、金町線の柴又駅に向かうつもりでいる。あいにくの雨だ。天気予報では、100%の確率で終日の雨。この頃は、たとえ狭域であっても予報が当たるようになっている。
先ほどわたしから、「おはようございます(ニコマーク)、恩田さん。もうご自宅を出られましたか?」と確認のメールを出しておいた。予定では、12時半に柴又駅の改札口集合になっている。
一ヶ月ほど前に送った予定表には、「(集合後に)帝釈天のあたりを散策。ランチは、大和屋で天丼。そのあと、水元公園までバスで行って、15時半ごろに山本亭まで戻る。お茶をして休んで、早めに川千家で鰻重を食べて解散」ということになっていた。
終日、あいにくの雨になりそうだ。恩田さんには、「水元公園はどうしようかなと思っています。どこか別にご希望はございますか?12時半に、柴又駅でお待ちします」と、先ほどLINEからメッセージを送った。
恩田さんはすでに電車の中のようで、返信があった。
「おつかれさまです。楽しみにしております。
記憶は50年前の半世紀前です。(小学生で境内で遊んでいた記憶です)
半世紀ぶりのタイムマシンで浦島太郎になるように思います。
よろしくお願いします」
恩田さんは、子供のころ、金町浄水場の裏手に住んでいたらしい。帝釈天裏の河川敷などは、遊び場だったのだろう。
恩田さんが乗っているタイムマシンは、50年前のものだ。一昨年閉店になった川魚料理の老舗「川甚」はもちろん健在で、本日、参道を案内するときに立ち寄るつもりの「大和屋」も、すでに店を開いていたことは、店主らしき大叔母さんから聞いている。
10月7日に「かつしか文学賞」の応募作品の中で、「草団子の大和屋」を紹介してある。その証拠(創業50年以上)を示すために、以下では作品の一部を引用する。
『わんすけ先生、消防団員になる。』(第5回かつしか文学賞応募作品)
文・小石川一輔 (第2章第2節)
2018年11月12日( 月曜日)
2 柴又帝釈天、草団子の大和屋
「 おばさん、この店の閉店は何時だっけ?
いつもの両餡(りょうあん)が欲しいんだけど。土手から戻ってくるまで、店を開けておいてもらえないかな?」
柴又帝釈天の参道入口にある大和屋まで、名物の草団子を買いに自宅から走ってきている。
自宅から帝釈天までは約1KM。時間にして5~6分。帝釈天裏の江戸川の土手までは、参道の入口から往復で15分くらいだ。
「店を閉めるのは5時。あと15分ね。
でも、大丈夫。わたしたち、50年前からここに住んでるから、逃げも隠れもしないわよ。土手から戻ってくるまで、ずっとあんたを待っててあげるから」
「草団子を買いに、高砂から柴又まで走ってきた」とわたしが事情を説明すると、ベテランのリーダーらしきおばさんが、笑いながら答えてくれた。
店先で草団子を手際よく折に詰めてくれている3人は、まちがいなく70代後半である。柴又は、元気な年寄りたちが働いている街である。(後略)
いまから半日の予定である。(ちなみに、「両餡」とは、つぶ餡とこし餡が半分ずつ入っている特別なセットのこと)
12時半に恩田さんと柴又駅で待ち合わせる。最初に恩田さんを参道に案内してから、参道を散策して帝釈天にお参りをする。その昔に恩田さんが遊んだという、江戸川の河川敷をチラ見してから参道に戻る。
大和屋で天丼を食べて、両餡の草団子セットをお持たせする。柴又駅に移動して、京成金町線を一駅だけ金町駅まで。そこからバス便で水元公園入り口まで。総面積96ヘクタール、都内最大の水郷公園をふらりと散策。雨なので、セコイアの森まではたどり着けるかどうか?
そこから再度、帝釈天参道に戻る。葛飾区の有形文化財、山本亭を訪問。お茶をしながら、書院造りの庭園を見る。老舗の川千家で、うな重をいただくことに。夕刻に歓談後、高砂までご一緒して、高砂駅で恩田さんを見送る。
さて、そろそろ雨中の散歩の用意をすることにしようか。