【柴又日誌】 #1:年を重ねてからの引っ越しはストレス?

 「年をとってからの引っ越しは、たいへんよ」。引っ越しを決めてほどなくして、知り合いの誰かに言われた。秋田や大学時代の同級生の半分は、すでに現役を引退している。これから上野に出て、秋田の妹弟と家族会議を開く。下の弟(晋平君)は63歳。茨城の私立高校で教員をしていたが、いまでは家庭菜園を生業としている。

 

 今日も、おそらくお土産に大根とか小松菜を持参してくれるだろう。彼は、埼玉県の吉川に住んでいる。どのくらいの菜園を耕作しているのかは知らないが、弟はなかなか立派な作物を栽培する技術を持っている。そういえば、本郷のアパートで一緒に暮らしていたときも、予備校生だったが料理がやたらと上手だった。

 晋平君は、二浪して明治の法学部に入学した。公務員の幼馴染と結婚して男の子がひとり生まれた。埼玉県に一軒家を構えて、その後は吉川市に定住している。今日上野に来る妹(道子)も、板橋区常盤台にある開業医のところに嫁いだ。二世帯住宅に相方の親と住んでいたが両親が亡くなり、いまはリフォームしたばかりの家に夫婦で住んでいる。彼らも定住組だ。約半世紀!同じ場所に住んでいる。

 四人兄弟で唯一、わたしが例外である。66歳で千葉県白井市から東京都葛飾区高砂に移住を決意した。しかも、あろうことか時代の流れに逆行して、二世帯住宅を建てて二世帯同居である。

 

 自分は、かつては「狩猟民族」であることに誇りを持っていた。事実、今度の引っ越しは、一時的な二重生活(米国、九段南、森下)を含めると14度目になる。とにかく、同じ場所にとどまることがなかった。「落ち着きがない!」とさんざん母親や祖母に言われ続けていた。

 しかし、今度の移転では、たいへんなエネルギーを消費することになった。投入した時間と労力も半端ではなかった。二世帯で新築住宅を建てるため、土地の取得から注文住宅の設計に至るまで、約1年半を要した。この時間を執筆活動に利用したら、新書を2冊くらいは完成できただろう。それくらい大変だった。

 年を経てからの引っ越しのどこがたいへんだったのか。いま振り返ってみると。

 

1 判断力が鈍ってきている

 土地の購入、住宅メーカーの選定、資金調達、子供たちとの間取りの調整など、すべてにおいて迷うことが多くなった。昔は即断即決で、決定を後悔することがなかった。ところが、年齢と先のことを考えると、あのようにすべきだった、こうすべきだったと迷いが生じた。決断力が鈍ってきたことに自分でも驚いたくらいだ。

 

2 動くことがめんどくさくなった

 住所が物理的にかわるので、諸手続きが必要になる。たとえば、不動産取得税の申告、銀行の諸手続き、電話回線、ケーブルテレビの契約などなど。引っ越し屋さんとの値段交渉や実際の引っ越し手配。親戚、友人を呼んで、手伝ってもらうなど。とにかく、体を動かさなければならないが、マラソンで鍛えているとはいえ、さすがに体がしんどかった。

 

3 変化が心理的なストレスを生む

 ある年齢になると、住生活環境を変えることはストレスになるのだと思う。なぜなら、自分がそれまで使っていた椅子やトイレや浴槽を変えることになる。基本的な生活習慣を変えなければならなくなる。若い時は、それでも変化を楽しむことができるのだが、年をとるとそこがストレスになる。自分は新しいもの好きだから、生活の変化に抵抗はないだろと思っていた。今回に限っては、実はそうでもなかった。驚きだった。

 

 以上、とはいえ、この一週間で引っ越しの作業は完全に終わった。困難な移転作業は完遂したわけで、これからは住生活の変化を楽しむ段階に入っている。老人にとってきびしかった段階は、やっと一段落。

 最大の発見は、日本の住宅がすばらしく進歩していたこと。32年前にはなかった諸設備は、なかなか使いやすい。電動シャッター、空気の自動循環設備、天井の吹き抜け。乾燥機能付きの浴槽。そして、ぴかぴかのフローリング。

 周囲の食環境もなかなか充実している。ここから、柴又帝釈天まで歩いて15分。二つ先の京成立石駅は、B級グルメの町。最寄り駅の京成高砂駅からは上野や日本橋まで、地下鉄と京成電車で20分。

 マラソンコースも充実している。江戸川の河川敷を水元公園まで走ると30分。往復10KMのジョギングコースが設定できる。本日は、晴天。上野から帰ってから、1時間コースを走ってみようと思っている。