【柴又日誌】#101:東京消防庁、特別警戒実施中。

 昨夜は、本田消防団の団員としての初めての仕事に従事することになりました。本殿消防署第11分団は、高砂1丁目から5丁目が守備範囲です。初日に集合したのは、11分団員35名中22名。夜間に巡回するため、高砂南会館に18時半に集合。22時に解散するまで、2回に分けて町内を巡回。これは、結構な長丁場でした。

 

 アポロキャップに活動服、ジャンパーを羽織って黒の長靴という出で立ちでした。自宅を6時少し前に出発。寿司ダイニングすすむさんのところで、足りない部品(団員のバッジ、記章)などを借りました。その後に、三人で高砂南会館に向かいました。自宅を出てから、町内を巡回する前の状態は、インスタグラムにアップしてあります。参考まで、こんな感じでした(https://www.instagram.com/p/CmxGq0sSkFq/?igshid=YmMyMTA2M2Y=)。

 

 22人が手分けをして、担当地域ごとに6組に分かれました。わたしたちの4人チームは、高砂5丁目と3丁目を担当(初回と2回目)。4年前からこの街に住んでいますが、いままで通ったことがない路地とかを通りました。案外と知らない場所が多かったです。この写真のスタイル(インスタグラム参照)で、2時間半ほどゆっくりと巡回しました。トータルで1万7千歩を歩きました。

 名前を度忘れしましたが、リーダーの方は年齢がわたしより少し下?だと思います。子供の頃から、高砂の街に住んでらっしゃるということでした。高砂小学校に通学していたらしく、驚くべきことに、街の生き字引のような方でした。

 空き地の所有者(年齢性別、家族構成など)をよくぞ!細かくご存じでした。たとえば、Tガスの跡地が転売できない理由など、土地の事情に詳しく、わたしは高砂周辺の不動産事情がよくわかりました。やはり、消防団に所属すると、おまわりさんと同じで、街の事情に自然に詳しくなりそうです。

 消防団員の活動に初めて参加した印象です。

 思いの外に、消防団の仕事は忙しいです。これから始まる救命救急訓練(受講がほぼ義務です!)や種々の講習会なども、パートタイマー消防団員にしては、活動が切れ目なく続きます。年数回の出勤と緊急事態時出動だけが義務と思っていました。冗談ではなく、年間を通して、都度に時間を取られる行事がたくさんあります。

 日経新聞に掲載されていたように、「消防団員が80万人を割り込む」の記事(12月24日号)を読んで、ほぼ予想はしていましたが、団員が集まりにく事情がよくわかりました。出動実態は、ボランティアの活動枠を超えてます。東京都が75歳に定年を延ばした事情がよく理解できました。

 震災などのボランティアは、拘束されるのは短期間です。ところが、消防団員の仕事は通年です。年間を通して動かなくていけないのです。普通の勤め人の方は、ちょっと務まらない内容です。だからではないですが、商売をやっている方が、葛飾区に関しては多いようです。

 

 たまたま、LINEでやり取りをしていて、元ゼミ生の当麻くん(当麻園芸@埼玉県所沢市)が、若いころに消防団に所属していたということで、彼の経験を聞きました。以下は、当麻君の団員活動について、わたしのインタビュー結果です。

 

Q:活動期間と活動内容は?
A:14年ですね。
 その内3回操法大会の選手をしました。

 40越えてからの2番員は辛かったですね。

 

Q:感想は?

A:そうですね、正直大変でしたね。
 仕事を終えてからの訓練はきつかったです。

 

Q:体育会サッカー部のような?

A:そうですね、9月に大会だったので、夏は毎年消防に捧げてきたようなもんです。どうかと思いますねそれも。
 今は大会も2年に1回になったらしいですが、大会自体を無くす案も出ているらしいです。

 

 こんなやり取りがありました。かつての若い団員は、スポーツ感覚で地域貢献をしていたらしいことがわかります。

 たしか、当麻君は娘のともみより少し年上のはずです。40歳代中ごろではないかと思います。その時代の雰囲気で、かろうじて団員の確保には苦労してはいなかったのかもしれません。彼が最後の世代かもしれません。

 募集活動が困難をきたしていることは、かなり深刻な問題かと思います。