谷中の「夕やけだんだん」、御殿坂をのぼって左に曲がる

 JR日暮里駅の北改札口で、元ゼミ生の塩原君と待ち合わせた。塩原淳男君は、小川ゼミの2期生。実家が美里町の八百屋さんだったこともあり、卒業後は埼玉県の食品スーパー・ヤオコーに就職した。学卒採用組の一期生である。群馬の地区担当部長や本部青果部長を歴任して、2年前にヤオコーを退職した。いまは「JA全農青果センター(株)」の社外取締役をしている。

 

 日暮里駅で、17時に待ち合わせた。わたしは、日本橋のユナイテッドアローズに、裾上げを頼んでおいたジーンズを取りに立ち寄った。早めに仕上がったので、約束の20分前には改札口に到着してしまった。

 時間が余ったので、駅構内にある青山フラワーマットの店頭をチェックしてから、北改札口に回った。余裕で着いたつもりが、塩原君と金山秀範社長は、すでに改札口の外でわたしを待ってくれていた。JA全農の青果センターは、最寄り駅が戸田駅らしい。それにしても、ふたりとも到着が早い!

 会食を予定していたのは、江戸料理の「谷中の雀」。5時の開店時刻には少しばかり早い。その場で、初対面の金山社長と挨拶を交わして、お土産を鞄の中から取り出した。2011年に刊行した『しまむらとヤオコー』(小学館)と、今年3月に出版した『青いりんごの物語:ロック・フィールドのサラダ革命』(PHP研究所)の2冊である。

 「金山さんは、JA全農青果センター(株)の社長さん」と塩原くんから事前に聞いていた。野菜つながりでお土産にと思い、書庫から本を2冊持ち出してきた。『しまむらとヤオコー』には、ヤオコーの社員として塩原君が登場している。『青いりんごの物語』をプレゼントに持ってきたのは、ロック・フィールドがJA全農青果センターから野菜を調達している可能性があるからだった。

 本と一緒に、印刷したばかりの「有限会社オフィスわん」の名刺を差し出した。今月から就任したばかりの「葛飾区本田消防団員」と書かれた名刺を、塩原君にも見せたかったからだった。

 

 11月もすでに21日。日没の時刻が早まっている。改築して新しくなった日暮里駅の北口は、谷中墓地と谷中銀座につながっている。かつては何の変哲もない商店街だったが、いまの谷中銀座は昭和の匂いが残る観光地として有名になっている。『東京カレンダー』などの雑誌でも、しばしば取り上げられている。

 日暮里駅の北口を出て、緩やかに御殿坂を登っていった。夕刻時である。坂を登り切った頂上から、遠くに谷中銀座商店街の看板を見下ろすことができる。そのまま坂を降りていくと、「夕やけだんだん」と呼ばれる階段がある。一風変わった名称は、公募で決まったらしい。急坂の階段からは、谷中銀座の商店街を背景にして、美しい夕焼けを眺めることができる。

 ただし、昨日は真っすぐ「夕やけだんだん」のほうには進まず、御殿坂の頂上から少し降りたところで通りを左に折れた。少し進んでところで、小さな通りをふたたび左に曲がった。その先は、昔懐かしい細い路地になっている。通りの左右の建物は、2階建てで、20軒ほどの飲み屋が軒を連ねている。

 石井洋二さんが経営する「谷中の雀」は、路地の奥から2番目の左の店だった。一階がキッチンと4席の小部屋、2階が10席ほどの中部屋。ほかの店と同様に、間口が1間半ほどの小さな店だ。入口には「谷中の雀」と書かれた、ひょうたん型の提灯がぶら下がっている。暖簾をくぐって、一階の小上がりの部屋に上がった。板張りの長椅子に、座布団が3枚敷いてある。

 

 時刻は、17時をわずかに過ぎたところ。奥のキッチンから顔を出してくれたのは、長野県上田市出身の石井さん。雀の宿のご主人さんだ。奥さんと思しき女性が、突き出しを出してくれた。魚の煮凝りに、キノコの煮つけ。着席した3人は、まずはビールで乾杯。昭和の路地裏に迷い込んで来たのだから、ビールは「キリンのラガー」に決まっている(笑)。妙に納得した。

 ネットで検索した案内には、「江戸料理」の店と紹介されていた。江戸料理って?天ぷらとかすっぽん鍋のイメージだが、どんな料理が出てくるのだろう。大将の一言で、「本日は、ふぐ料理のコースになります」となった。季節によって、軍鶏鍋なども出てくるようだ。

 ビールの後は、日本酒(冷酒とぬる燗)から、焼酎のお湯割りになった。銘柄は、定番の「佐藤」。料理のほうは、ふぐのから揚げからはじまり、ふぐちりで終わる。途中で何が出てきたのか忘れてしまった。茶わん蒸しができたことは、うっすらと覚えている。コースの最後は、ふぐ雑炊で締めた。

 

 入店してから3時間半の「対談」だった。自己紹介もそこそこに、金山社長からは会社の成り立ちの説明があった。JA全農の創業から55年。現在の青果センターが株式会社組織になってからでは、15年になるそうだ。金山さんは、JA全農の組織の中で「青果センター」の立ち上げを企画開発したメンバーの一人でもある。

 自らが企画した責任を取って、8年前に全農の本体から移籍した。社長に就任してから、今年で4年目になるとのこと。コロナ禍中で一時期は業績が上振れしたようだが、落ち着いてからは売り上げもフラットになっている。若い社員を多く抱えて、組織的な課題もあるらしい。

 社外取締役の塩原君経由でわたしに声がかかったのは、そうした理由からのようだ。金山さん自身が勉強のため、法政大学でわたしが主催した「農と食関連のセミナー」(徳江倫道氏と共同開催)に参加したことがあった。わたしの研究テーマや取り組みの仕方をご存じだった。

 いまの会社が抱えている課題について、真剣に議論してみたいようだった。このテーマは、機会を改めて後日ということになった。わが国の農業と食品流通は、たしかに課題が山積みだ。それだけに、しかし、JAや農業者にとっては、将来の事業機会も大きいように思う。そのように、わたしは金山さんに自説を述べた。

 

 4時間ほどアルコールを浴びるように飲んでから、わたしはトイレに立った。細い路地の奥まで、この空間には「昭和の空気」が流れている。なんとなく気持ちが和んで、ほっと安心する場所でもある。

 路地の一番奥が、全店共通のトイレになっていた。たくさんの店のお客さんが利用するトイレなのに、掃除がきれいに行き届いている。昭和の路地の共同トイレだから、清潔さを心配した。これはうれしい誤算だった。

 

 店主の石井さんとは、店を離れる前に約束を交わした。

 宴席の最後のあたりで、わたしはぶぐのひれ酒を所望した。ところがその場で下ろしたふぐのヒレは、まだ乾いていないらしかった。天日干しで乾かすので、炙ってヒレ酒が飲めるまでには、まだ数日かかるとのこと。

 次回、12月初旬から中旬にかけて、ヒレ酒を飲むために「谷中の雀」に立ち寄ることにした。そのときは、「夕やけだんだん」の階段を降りて、谷中銀座にも立ち寄ってみたいと思う。できれば、昨日の夕方、部分的にスマホで写真を撮った「谷中の夕焼け」もフルで拝みに来てみたい。