【柴又日誌】#163:広報誌『ひのみやぐら』の編集会議で学んだこと

消防団に入団して、一年半になる。フルマラソンが完走できる体力はあるので、定年(通常は72才)を3年先(75才)まで延長してもらうことにした。しかし、火災現場を想定した訓練で、筒先を持って放水するのは無理だろう。水を含んだホースは意外に重たいのだ。そんな事情もあって、昨年の夏に石川分団長から、「先生には、広報誌を担当していただけますか」と声をかけてもらった。

 

 仕事は、年2回発行している『ひのみやぐら』という広報誌の編集である。編集の仕事ならば、ほぼ本職である。消防団に入団したものの、一体全体わたしに何ができるのか?思案しているところだった。そんなことがあったので、石川分団長の申し出を2つ返事で引き受けることにした。

 葛飾区本田消防団は、16の分団で構成されている。各分団から広報誌の編集委員をひとりずつ出している。編集の全体会議には、本部から担当者(消防署員)が2人と副分団長が出席して会議を補佐している。広報委員会のメンバーは、全部で19人になる。結構な大所帯である。

 広報誌は、カラーの見開き4頁。半年に一回、本田消防署に集まって編集会議を開く。各回の編集担当が決っていて、4つの分団のメンバーで編成したチーム(4組)が、2年に一回で輪番になる。わたしは、第11分団に所属している。第9分団から第12分団まででの編集チームに所属することになった。4号で1回、編集の当番が回ってくる。

 広報委員になってすぐに「2023年春号」(4月発行)の担当が回ってきた。わたしは就任したばかりで何もわからないまま、仕事が終わった(笑)。全く要領がわからないので、最初の号では見習いとして皆さんのやり方を見ていた。

 

 半年後に、「2023年秋号」の編集会議がはじまった。わたしたちのチームは、今度は編集担当ではなかった。全体会議で、編集方針や原稿の依頼先をどうするかが、その日の議題として取り上げられた。このときの編集担当は、第13~16分団だった。LINEでの連絡で、担当チームから事前に全メンバーに記事の依頼などがあった。

 編集のプロセスがわかってきたので、全体会議では意見を述べた。雑誌や書籍の編集は手慣れている。広報誌も、一般的な段取りで進むものと思っていた。しかし、広報委員会の皆さんは、商店主だったりビジネスマンだったりで、編集とは無縁な仕事に携わっている。編集作業や原稿書きは本業ではない。

 各号の担当編集長も、雑誌の編集の仕事は素人である。(広報誌のために)原稿(文章)を書くのは、たぶん学校を卒業して初めてのことのようだった。全体会議では、記事を依頼した団員から集めてきた原稿を、順番に読み合わせていくことになる。プリントした原稿を読み終わると、「どなたか意見がありませか?」と問われた。

 皆さんの文章(の書き方)が気になったので、見出しのつけ方や文章の形式などについてわたしから意見を述べた。しかし、皆さんは、わたしの言うことがよく理解できないようだった。微妙な雰囲気が流れて、なんとなく会議室が静かになった。その場で2時間の会議は終わった。

 

 毎回、春号・秋号ともに刊行前に、2回の会議が開かれる。わたしが意見を述べたのは、2023年秋号の1回目の会議だった。仕事で忙しかったこともあって、2回目の会議は出席を控えることにした。本音を言うと、わたしの発言が皆さんの編集作業のプレッシャーになってはいけないと思ったからだった。

 消防団の仲間が作っている広報誌である。『ひのみやぐら』は、本田消防署管内の16の分団と、それぞれの町内会に配布される。とはいえ、発行部数も限定されていて、プロの仕事の流儀が必要とされる類のものではない。記事内容も、消防団の行事や表彰関係が中心である。あまり凝った編集はしなくてよいのだろうと、秋号の編集会議からわたしは考え方を変えることにした。

 30日後に発行された広報誌には、わたしのコメントの一部が反映されていた。少しは役に立ったかもしれないとは思ったが、後味は良いものではなかった。大学時代は、教授会や学部横断的な会議で、わたしは意見をはっきり言う方だった。しかし、ここでの立ち居振る舞いには、少し注意した方がよいとも感じた。

 

 一昨日(2月14日)のことになる。広報委員になって3回目の全体会議が開かれた。前回と同様、編集委員会では用意された原稿が会議で読み上げられた。『ひのみやぐら』(2024年春号)は、第1分団から第4分団の編集チームの担当である。責任者は、第1分団の男性だった。

 会議は19時にスタートした。今回は事前の準備がよかったので、誌面はほぼ完成していた。ただし、文章が冗長だったり、余分な原稿が文中に加えてあったりした。そのことが気になったが、わたしは今度は発言を控えた。司会の女性(消防署本部所属)も、ほんとうは気になっている様子だった。しかし、その場では誰も指摘せずに、会議は1時間弱で終わった。

 会議が終わって、皆さんは三々五々に部屋から出ていった。そのとき、わたしは司会を担当した本部の女性のところに寄って行って、皆さんには聞こえないように、原稿に対する意見(修正案)を伝えた。編集担当チームの面子を考えて、会議では黙っていたことを告げた。

 

 そのあと、今回の担当編集長(第1分団員)の席まで行って、2か所だけ赤字を入れた原稿を手渡した。わたしからのコメントとしては、「①一部の記事の文章は、前後を入れ替えた方が読みやすくなることと」「②不要な段落を2か所削除したほうがよい」と口頭で付け加えた。文章を直した方が良い理由は、編集長には伝わったようだった。

 3月上旬に、第2回目の全体会議が開かれることになっている。次回は出席できるかどうかわからないので、わたしのLINEの連絡先を編集長に確認してもらった。消防団の各委員会には、連絡用のグループLINEがある。編集委員会でもグループLINEがあって、全員の連絡先リストが載っている。最後に、「この後、文章について気になるようことでもあれば、わたしのLINEに連絡をください」と伝えて、編集者の席を離れた。

 当たり前といえばその通りで、スキルの面で完璧な広報誌を作ることは、消防団の現状ではむずかしそうだった。それならば、文章に手を入れて、皆さんをアシストできる物書きの特技を活かせばよい。そう考えて、この後も会議の席では発言しないつもりでいる。わたしにできることは、赤字を入れて文章を読みやすくすることだろうから。