【柴又日誌】#183:昨日、弟の晋平くんがスイカをもってやってきた。

 秋田の本家(三種町羽立)で、珍田孝一さんが亡くなった。享年84歳。本日が火葬になる。急なことで、わたしたち4人兄弟で葬儀に行けるのは、秋田に残った一番下の晋佐くんのみ。
 孝一さんは、金足農業で柔道部の主将を務めていた。4人兄弟の長男さん。次男の彰さんは、能代工業野球部のピッチャー兼一塁手でスラッガー。高校卒業後は小松製作所に勤務して、ドバイなど中東に勤務していた。10年ほど間に病気で亡くなっている。

 
 珍田家は男だけの4人兄弟で、下の二人は健在である。日大から鹿島建設に就職した侑昌さんと、北大から信越化学に入った充さんである。「どちらも、今日の孝一さんの葬儀には参列できそうにない」と晋佐から電話があった。
 小川家で葬儀に出席できない3人(わたし、道子、晋平)を代表して、わたしが香典をまとめて珍田家に送る手はずになっていた。道子と晋平とは、今度会ったときに香典(代金)を清算することになっていた。ところが、早朝にLineから、「(香典と一緒に)野菜やスイカを持っていく」と連絡が来た。
 うちの兄弟は、3男の晋佐を除くと、残りの3人はせっかちである。晋平君も先に決めてから、すでに行動に移していることが多い。晋平くんは、茨城県の江戸川取手高校で、社会科の先生をしていた。大学の先生だったわたしと同様で、すこし浮世離れがしている。

 晋平君は10年ほど前に、取手の高校を退職。ほどなくして、家庭菜園を始めた。母方は地主の家系で、その血が濃いのか、本人は野菜を育てる才能がある。今回持ってきてくれたのが、小玉のスイカ3玉。開けてみるとジューシーで甘い。素晴らしく良品のスイカだった。
 その他には、ピーマンと青とうがらし、ナスを持参してくれていた。早速、唐辛子と茄子は夕食の食卓に登場した。みそ炒めにして、ずいぶんと美味しかった。
 晋平君は、埼玉県の吉川市に住んでいる。吉川から高砂までは、車で40~50分ほど。いつも自宅まで菜園で採れた野菜を届けれくれるが、わざわざ家に上がってもらうことはない。わたしたちがいないときなどは、採れたての野菜を玄関に置いて帰る。
 
 それが昨日は、同居している次男のファミリーが、保養所に泊まりで行っていた。駐車場が空いていたので、そこにプリウスを駐車してもらい、めずらしく家にあがってもらった。わたしがコーヒーをいれて、1時間ほどかみさんと三人でよもやま話に花を咲かせた。
 秋田の実家のこと、晋平君の家族の近況など。気になっていたが、電話やメールだと伝えきらないこともある。ちょうどよい機会だった。
 次回は、道子さんと3人で、門前仲町の秋田料理店、男鹿半島できりたんぽ鍋でも食べることになりそうだ。晋平君の情報によると、道子さんの近藤家も大変そうだった。

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