皆さんは、七福神を全部に空で答えられますか?それぞれの神様にどんなご利益があるがご存知でしょうか?東京各地には、各地元に七福神(@神社仏閣)がいます。わたしが住んでいる葛飾区には、葛飾七福神があります。そして、正月元旦には、近所で七福神巡りをする方がたくさんいらっしゃいます。
噂には聞いてもいましたが、「でも、それって老人たちがすることでは?」。そう言いながら、気がついてみれば、わたしもいまや69歳に。自分も十分に老人になっていました。しかし、どうせ七福神巡りをするならば、歩きや電車ではなく、「ランナーらしく走って七福神巡りをしてみよう」。
というわけで、昨日はランナー仲間と一緒に、隅田川沿いを走って「墨田七福神巡り」を敢行しました。初詣と観光を兼ねて街ランです。観光地図を広げてみると、浅草近辺の隅田川沿いには7つのお寺と神社があります。知らなかったのですが、七福神は「神仏混淆」なのでした。いかにも日本らしい風習です。
さて、押上のスカイツリーをスタート地点にすると、終点の多門寺(毘沙門天)がある東武鐘ヶ淵駅までは片道が約4KM。往復では8KMです。直線距離では短そうに見えますが、七福神をまつってある神社やお寺は脇道に入ったところなどにもあります。実際は、それより片道で1KM程度長く走ることになりそうでした。
街中を走る「街ラン」では、わたしたちは、1キロが6分から7分のスピードで走ります。ランの途中に、お参りや写真撮影の時間がそれぞれ5分程度かかると見ました。スタート地点の押上に戻ってくるまで、所要時間を90分くらいと見積もってみました。
準備万端。さて、隅田川七福めぐりのスタートです。最高気温が7度の肌寒いコンディション。スタート地点のスカイツリー下に集合。ソラマチのロッカールームに各自の着衣を預けて、リュックを背負って走り始めました。時刻は、14時02分。東武線の高架下に新しくできたインバウンド向けのモール(ソラマチなんとか)を見ながら、第一目的地の三囲(みめぐり)神社に向かいます。非常事態宣言が出たばかりで、目の前のショップには観光客がほとんど入っていません。
ほどなくして三囲神社に到着。ここには、大國神と恵比寿神が祭られています。大國さんと恵比寿さんは、越後屋(日本橋三越)にまつられていたものとの記述あり。三井寺に由来しているらしいのです。恵比寿様は、考えてみたら商売の神様でした。わたしも真剣にお祈りをしなければ、、、
いっぺんで二つの神様を制覇したあとは、3分ほど走って弘福寺へ。ここは中国の前週のお寺で、布袋尊をまつってります。布袋さんは、唯一実在する禅僧で、弥勒菩薩の化身と言われています。弥勒菩薩さんって、女性でなかったのかな。高校時代、古文と世界史は不得意科目だったから、そこはあやふや。
4つ目の弁財天は、隣の長命寺にまつられていました。ここには、三代将軍家光が鷹狩の途中に腰痛になり、寺の井戸の水(長命水)で薬を服用して快癒したという伝説が残されています。弁財天はお金の神様ですから、長命寺には巳(蛇)の日に参拝する風習があります。これで半分が終わりました。まだ30分も経過していません。しかし、ここから先は長い導入道になります。
つぎの神社の位置を確認するために地図を開くと、白髭神社は隅田川にかかった白髭橋のたもとにあります。長命寺からは、距離にして1キロ以上はありそう。ここからは、隅田川と並行に走っている墨堤通りをまっすぐに東北東向かうことに。北からの向かい風が強くなってきました。マスクをして走っていると、眼鏡が曇ってきます。わたしはマスクを外して走ってみました。
生前にわが母の好物だった「言問団子」(ことといだんご)の店を左に見て、少年野球場の前を通り、墨堤通りをひたすらまっすぐに走ります。道路の左側には、大規模な公営住宅団地が広がっています。4棟それぞれが10階から12階建てくらい。全部で5000世帯は住んでいるのではないかと思います。
いま二世帯住宅に一緒に住んでいる義理の娘には、おもいしろい特技があります。車で走っていて、30階から40階の高層住宅(タワーマンション)の階数を、一瞬にして数えてしまうのです。ほんの数秒で、いま見ているタワーマンションの階数をきっちり当ててしまうのです。窓の数をフォトリーディングできるらしく、彼女ならば、この高層住宅の世帯数を正確に数えてしまいそうでした。
墨堤通りの南側の歩道を1KMほど走ると、大きな交差点の右向かい側に、寿老人がまつってある白髭神社が見えてきます。寿老人の髭にちなんで白髭神社なのでしょうか。昨日、回った神社仏閣の中で、白髭神社の参拝客が一番多かったように感じました。わたしたちの前に、短くて小さな参道に三組ほど参拝客が並んでお参りを待っていました。
白髭神社の裏方には、江戸園芸文化の象徴である「百花園」があります。百花園は、文化元年(1804年)に開設された庭園です。元旦から7日までは参拝客を受け入れていますが、昨日はすでに11日。庭園が鑑賞できるお座敷は、開帳が終わっていました。「隅田川七福 参拝のご案内」という冊子によると、隅田川七福神めぐりは、百花園に集まる文化人たちの発案で始まった行事のようです。
これで6つまで参拝が終わって、最後の目的地は、毘沙門天の多門寺でした。百花園を出て、向島地区の細い路地を多門寺に向かいます。一緒の走っているランナーから、「先生、こんな狭いところには、消防車がはいってこれませんね」と心配の声。向島地区は、1945年3月10日の東京大空襲をまぬかれた町です。
数年前に卒業した鈴木君という東京消防庁に勤務していた大学院生が、うちの研究室にいました。指導教授は、静岡県立大学の大久保あかね教授で、彼の卒業プロジェクトのテーマは「向島地区の防災計画」でした。彼の研究によると、墨田区の向島地区のハザードマップは「真っ赤」で、首都直下型地震が発生した場合、東京でもっとも死者・負傷者を出すことになるエリアという報告でした。
多門寺は、わたしたちが廻った6か所の中では、建物と庭の造作がもっと立派なお寺でした。毘沙門天は戦いの神様です。ここの本尊の毘沙門天は、弘法大師の作と伝えられています。その昔、本堂の前に住む狸の悪戯に悩んでいた村人たちを、毘沙門天下の禅尼師童子が狸を懲らしめて救ったという伝説が残されていました。茅葺の山門などがあって、なんとはなしに、侘びさびを感じさせて佇まいのお寺でした。
七福神を全部めぐり終わったところで、出発から約1時間が経過。復路は、隅田川のほとりを走って帰ることにしました。対岸には、隅田川沿いに浅草の界隈が見えます。曇り空なので、お日様は雲間に隠れて見えません。微妙に隙間から明かりが漏れています。
白髭橋の袂から、隅田川テラスの走路は厩橋まで一直線に続いています。午後4時少し前になり、西の空に夕陽が沈みかけています。新しく完成したスミダリバーウォークは、東武スカイツリー線と並行に走っている、浅草まで隅田川を渡るための渡河橋です。
右側にその橋を見ながら、東武線のガードに沿ってスカイツリーのロッカーまで戻りました。スマホでランニングソフトの距離と時間をチェックすると、経過時間(走行時間のみ測定)は約85分。走った距離は、約10KM。
そこからは、石原三丁目の御谷湯(みこくゆ)まで、着替えを背負って走りました。その先に待っている川勇の鰻を楽しみに。到着時刻、午後16時18分。走行距離は、10.9KMでした。