連載を担当している『北羽新報』(秋田県能代市)に、「遺言状のデータ更新」というコラムを書きます。先週のうちに書いていたブログを、再度書き直した原稿です。昨年7月に手書きで遺言状を書きました。今回は、遺言状を書いた動機について、身近な事例などを交えて丁寧に説明しました。親のエゴから、死後に家族関係の崩壊することを防いでほしいと思ったからです。
どうやら明日(3月27日)の掲載になるようです。
わたしが子供たちに残せる財産は大した額でもないのですが、分与については慎重に事を進めています。なぜならば、身内や友人たちを見ていると、両親のどちらかが亡くなった後で、財産分与で揉めている場合が多いからです。折り合いがつかずに、裁判に持ち込まれるケースも少なくありません。
相続問題で骨肉の争いに発展するのは、親に責任がある場合がほとんどです。そうした不幸を防ぎたいと思ったので、コラムでこの問題を取り上げました。親が遺言を残しておかないのは、死ぬ直前まで子供たちに何らかの影響力を行使したいと考えているからのようです。それは単なるエゴだと思います。
財産分与の方式を明示しないまま亡くなってしまうと、いい迷惑なのは子供たちです。わたしが遺言状を書こうと思い立ったのは、不幸な顛末をたくさん見てきたからでした。人間はいざというときに、簡単に心変わりをするものです。
さて、コラムの元原稿を読んでくれた友人の数人から、わたしの文の趣旨に対してコメントをいただいています。
中小企業の事業承継プログラムを専門としている水沼くん(サクシード@宇都宮)からは、「まさに人はお金で変わってしまいます。事業承継も本来は譲り手の側が計画的に行わないために起こります」とコメントをいただきました。わたしは、そうした悲劇を何度も目撃してきました。家族関係が壊れたのは、単なる親のエゴのせいだと思います。
同族会社なども同じことがよく怒っています。わかっているのに、こうした悲劇が後を絶ちません。それができないのは親の勝手で、人間的な弱さが原因だと思います。
もうひとり、友人のシリアル・アントレプレナーで元同僚の平石教授からは、「小川先生らしいなと思いました。うまく言語化できませんが、サバサバとしていて、執着がない(ように見える)ところでしょうか?」と反応をいただきました。金銭とパワーに固執するから、きちんと生前に遺言を書かないのです。
わたしの場合は、たしかに物事にあまりこだわらない性格だからでしょうか。残していく財産など大したことではないと考えています。そのことを、平石さんには理解していただいているようです。
明日の掲載をお楽しみに。ブログに全文を転載するつもりです。