本日から夏休み入りとなる。来週火曜日に大学院「マーケティング論」の補講はあるが、学部の前期レポートの採点はすべて終えてしまった。なので、わたしとしては、”スローライフ”に突入することになる(形容矛盾ですね)。
今回は四ヶ月前に読んだ本をここで紹介することにしたい。この本については、もう少し早く紹介したかったが、この間、大学院IM研究科の授業準備と講演(3ヶ月で10回)が多かったので、その機会を失ってしまっていた。
きっかけは、7月22日の日経新聞に、「フェアトレード商品」に関連した記事が出ていたからである。ご存じのないかたのために説明すると、フェアトレード商品は、「公正な貿易(取引)商品」のことである。開発途上国(アフリカ、中南米など)の生産者の生活環境を守るために、先進国の購入者(消費者)が商品を安く買いたたかない生活支援運動である。数年前から欧州の国々ではじまり、スイスなど生協運動が盛んなところでは強力に推進されはじめている。昨年、法政大学のセミナーに招聘したスイスの生協「ミグロス」の女性バイヤーは、アフリカから輸入するバラですでにフェアトレードを実行していることを力説していた。スローフードの動き、食のトレーサビリティの問題などととも関連がある。
実際には肥料や農薬が使えないという経済的な理由からではあるが、途上国の農民が作る作物や加工品は、オーガニック(有機)栽培品である。オーガニックフーズ、オーガニックコットンなどが「自然に」生産されている。この点は、旧来型の世界貿易システムのなかでは弱みであった。彼らの農法は経済生産性が低いので、市場原理に任せるとコモディティとして買いたたかれることになる。この辺の実態を紹介したのが、ロンドンの穀物商から転身して国連の農業コンサルタントになったPeter Robins著「Stolen Fruits」(収奪された果実)である。
コーヒー豆やバナナなど、典型的なトロピカルフーズ(フルーツ)は、この20年間で価格下落が続いている。生半可な下落率ではない。世界のひとびと(先進諸国)は豊かになったはずなのに、南国の農民たちは、フルーツ・穀物価格の下落でますますやせ細っていることがデータで示されている。価格がどんなに下がっても、パイナップルやマンゴーやゴムやコットンを作り続けるしか、彼らは生活の糧をえる手段がない。ところがである。ご存じのように、スターバックスコーヒーなどのチェーン店の成功で、先進国では、コーヒー(カップ)の値段は逆に高くなっている。「いったい誰が儲かっているのか?」というのがロビンズの問いかけである。
数ヶ月前、わたしはこの本を読んで大いにショックを受けた。自由貿易による経済成長は、世界中のひとびとを豊かにするということを経済学で教わった学徒のひとりである。事実はどうやら、そうではないらしい。「国際化」と「市場化」は、発展途上国の農民を救うことにならない。たぶんロビンズの主張は正しいだろう。
フェアトレード(商品)は、この問題に対するひとつの有力な解答である。このことになかなか気がつかなかった。逆説的ではあるが、経済学が考える「市場」とは、コモディティ(非差別化商品)を匿名で売買するシステムのことである。状況を反転させる方法(南国の収奪状況を止めさせる手だて)は、取引から匿名性の要素を取り払い、商品をブランド化すること(出所明示)である。つまりは、売り手と買い手が名乗りをあげて、互いの信頼の証として生産・購入・使用に関する情報を交換することである。IT技術がそれを可能にさせている。「顔」を見せることによって、部分的に相手の生活に入り込むことによって、あるいは、シンパシーを交換することで問題は解決する可能性があると気がついた。
フェアトレード商品が、クール(かっこうがよい)であるという感覚が広がっている(日経の記事はやや誇張はあるが、ほぼ正しいと考える)。標準化されすぎたマスプロ製品の人工的なセンスに対して、先進国の消費者が「ノー」を言い始めているのかもしれない。従来は一見して安っぽいと思われていた商品仕様が評価され、手作りっぽいフェアトレードの商品作りが普及する可能性を予感させる。