外部講演の評価と成果主義

4月から7月まで約10回の講演をこなしてきた。もちろん、大学の授業や学校がらみの講話は除いてである。一回が70~90分の講演で、講師料が一桁から二桁の中程まで、実にさまざまである。とくに料金では選んでいないので(選べるほど偉くないので)、講演料の分散はかなり大きい。


講演料はたくさんもらえるにこしたとはないが、金額の多寡だけで講演先を決めているわけではない。聴衆の質がそれ以上に本当を言えば重要である。聞き手が眠っていたり、講演終了後に満足げな顔を見られないとがっかりする。そうした場所には二度と行きたくない。
 義理があるのでなかなか断れないが、本音では腰が引けてしまって、益々良い講演ができなくなる。そんなときは、招く側が損をすることになる。
 このごろ、逆に講演で講師(講話)の評価をされることが多くなった。大学で実施している「授業評価」と同じである。有名な先生がいつもおもしろい話をするわけでは必ずしもない。熱意を持った人が専門の領域を話した方が、おそらくは受けがいいだろう。顧客志向のシステムである。
 JFMA(花のNPO)や大学院(大学)ので仕事で、講師依頼をすることがある。招聘する側としては、学生や聴衆に満足してもらう内容になるかどうか、ほんとうに心配である。こうした事柄について、わたしは神経質なほうなので、逆に自分が講演を引き受ける場合には、招いてくださったかたの顔をつぶさないかどうかがとても心配になる。
 その意味では、大学のFD(授業評価)と同様に、外部の招待講演も聴衆によって評価してもらったほうが気持ちがよいと感じる。4月から7人(外国人を含む)の方に講師依頼をしてきた。すべてが成功だったわけではないが、聴衆の満足度は90点だったと思う。講師依頼する側も試される時代である。世間でいろいろと言われているが、そうした観点からの「成果主義」は悪いことではないと思う。