(その32)「11年連続で完走:東京マラソンを」『北羽新報』(2019年3月21日号)

 東京マラソンを11年連続で完走できたことを、地元新聞で報告しました。今年は、歩かずに完走することが難しいかなと思っていました。気温が5~6度で冷たい雨の中、いままでにない孤独なレースでした。しかし、皆さんの応援に助けられ、無事に完走できました。ただひたすら、走れた運の良さに感謝です。

「11年連続で完走、東京マラソンを」『北羽新報』(2019年3月21日号)
 文・小川孔輔(法政大学経営大学院)
               
 趣味のマラソンのことについては、東京マラソンの開催に貢献した石原慎太郎氏(元東京都知事)の功績について取り上げさせていただきました(「東京マラソンの大会裏事情」2017年2月20日号)。早朝から7時間、都内の交通を完全に遮断して3万人のランナーを走らせる英断なしに、2020年東京オリンピックの誘致はなかったと思います。いまでは、ニューヨーク、シカゴ、ボストン、ロンドン、ベルリンと並んで、東京マラソンは世界のメジャーマラソン大会のひとつに認定されています。
 個人的なことになりますが、その後もおかげ様で、東京マラソンの連続完走記録は途絶えずに続いています。今年の第13回大会は、桃の節句(3月3日)に開催されました。ふつうは3月に入ると気温があがってくるものなのですが、日本記録保持者の大迫傑選手が低体温症状のため途中でリタイアするくらい寒い雨になりました。
 スタート時点の気温は、摂氏6度。あまりの寒さに、スタートから簡易なビニールの雨合羽を着たまま、皇居前広場のゴール門まで走りました。こんな寒さと冷たい雨は、46回のフルマラソンではじめてのことです。
 記録は4時間40分29秒。50代の最盛期と比べると、タイムは40分ほど悪くなっています。それでも、途中で立ち止まって歩くことなく完走できました。
 
 親しい友人たちからは、なぜマラソンの完走にこだわるのかを尋ねられます。2月から3月にかけての日曜日は、大学院の入試面接があるのです。実は11年間、教授会メンバーから、「小川さんは東京マラソンがあるから、2月の最終日曜日の面接は免除ね」と暗黙の了解をいただいています。同僚の特別許可があるので、東京を連続で完走できているのです。
 「なぜ」に対するわたしの答えは、3つあります。学術的な研究には体力が必要だからです。わたしは、日本でもっとも分厚い教科書(『マーケティング入門』日本経済新聞出版社、2009年)の著者です。800頁の本を完成するためには、20年の準備期間が必要でした。
 2008年に一年間の研究休暇をもらって執筆をはじめたのですが、毎日2~3ページを書き続けてようやく完成です。この作業は、フルマラソンを走るのと同じような計画性とそれを実行できる粘りが必要なのです。途中休むことなく3~5時間を走り続けられる根気を持っているので、狂人のような仕事が完遂できるのです。ノーベル賞受賞者で京都大学の山中教授も長距離ランナーです。知的な活動を支える体力をお持ちなのです。
 二番目の理由は、みなさんからの応援です。今年の東京マラソンでも、三か所で知り合いから熱い応援をいただきました。不思議なもので、わたしたちランナーは沿道からの応援にとても助けられるものなのです。「いつもの場所から応援します!」といわれると、大家への階出場を途切れさせるわけにはいかなくなります。

 最後の理由は、あるとき応援に来てくれた社会人院生に、ゴール後の飲み会で言われて気づいたことです。「先生が60歳をすぎても走り続けているのを見て、わたしたちも“まだがんばれそう”と勇気がもらえるのです!」とその女子学生から言われました。別の社会人の男子からは、「先生を見てから、年寄りのイメージが変わりました」と驚かれました。30代・40代の彼らが人生を考える上で、年間20回のマラソン大会に参加し、そのうち2回はフルマラソンを完走するわたしの姿が、彼らの未来に希望を与えるらしいのです。
 それは、わたしにとっても、元オリンピック選手の喜多秀喜選手(66歳で3時間以内で走るサブスリーを達成)や、88歳の三浦雄一郎さんが山岳スキーに挑戦を続けている姿を見るのと同じ感じ方のようです。若者に勇気を与えられるのであれば、75歳くらいまでは東京マラソンに挑戦してみてもいいかな。そう思う今日この頃です。