横浜花博2027が、横浜市郊外で開催されることが決まりました。米軍基地の返還跡地での開催になります。開催は5年先ですが、基本コンセプトの作成作業が始まっていたようです。横浜市の花博委員会からアドバイスを求められました。今月の連載では、開催に至る経緯とわたしから提案したコンセプトを紹介します。
「里山にトトロの森の再現を:横浜花博2027」『北羽新報』2022年3月31日号
文・小川孔輔(法政大学大学院教授)
2027年に横浜で開催される「横浜花博2027」の事務局から、基本コンセプト作りについて意見を求められました。横浜花博2027は、「A1」と呼ばれる国際博覧会で、この大規模な花博が開かれたのは、1990年の大阪花博が最後でした。大阪花博をきっかけに、切り花と園芸用品の消費金額が、10年間で2倍に増加しました。
1990年代にガーデニングブームが起こり、花産業には異業種から大手企業が続々と参入してきました。主役は、サントリーやキリンなどのビールメーカーでした。キリンビールは、オランダやフランス、イタリアなどの育種会社を買収しました。サントリーは、花壇苗の開発(サフィニア)と青いバラ(アプローズ)の育種を始めていました。日本たばこ産業や大手商社(三井物産や伊藤忠商事)など、200社近くが花のビジネスを始めました。
マーケティング研究者として、花や緑という商品に魅力を感じたのも、花博前後の異業種参入がきかっけでした。『世界のフラワービスネス』(にっかん書房、1991年)という本を著したのもこの頃でした。花の一大消費地である欧米と、生産地のケニアやコロンビアなどを取材で旅行しました。花の産業で新しいことが起こりそうな予感がしていたからです。
調査をしてみると、日本の花産業は、欧米先進国と比べて、生産性と品質面で遅れをとっていることがわかりました。物流システムや商取引で、卸市場の技術革新も停滞していました。花の育種から流通、消費まで、日本の花産業がバラバラだったことが原因でした。そこで、2000年に業界横断的な協会(JFMA)を創設して、花産業の復興を目指そうとしました。
このころ、大阪花博の開催から30年が経過して、業界からは当時の熱気が失われかけていました。そこで、日本で2度目のA1クラスの花博を開催することを思いつきました。当初は、昭和記念公園(東京都立川市)での開催を目指して立川市長に面談を求めました。しかし、昭和記念公園では、花博開催のための遊休地(>50ha)が確保できないことが判明しました。
代替地を求めて、埼玉県知事の上田清司氏(現、参議院議員)に面会を求めました。JFMAの有力会員である食品スーパー「ヤオコー」(川越市)の川野幸夫会長の仲介でした。わたしが提唱する花博は「東京花博2024」という名称で、基本コンセプトは、花や植物だけでなく生活全般(衣・食・住+遊)をテーマに掲げることでした。
東京花博の企画は実現しませんでしたが、3年ほど遅れて2027年に横浜花博が実現する運びとなりました。横浜での花博開催のタイミングは絶妙だと思います。なぜなら、新型コロナの感染拡大とロシアのウクライナ進攻が象徴するように、グローバリゼーション一辺倒だった世界経済が分断を始めているからです。日本としては、国内資源の良さを再考すべきタイミングです。世界にアピールできる日本の良さは何か?それは、日本の文化(浮世絵に起源を持つアニメや漫画)、日本の自然(里山や森林、水辺などの植生)です。
インタビューで強調したことは、つぎの2点でした。①20世紀の博覧会のように箱モノは作らないこと、②自然な環境の中で、日本の原生種を見せることです。大阪花博から35年で、博覧会でのプレゼンテーション(見せ方)は変わってきています。わたしが提唱している横浜花博の基本コンセプトは、「里山にトトロの森を再現し、自然な環境の下で日本原産の花や植物を見せること」です。