(その86)「木都能代の再生(上)」『北羽新報』2023年10月23日号

 生まれ故郷の秋田県能代市は、明治から昭和初期にかけて、東洋一の製材都市でした。諸般の事情で、いまは木都としての昔日のおもかげはありません。しかし、再生の可能性はあります。昨年の春、宮崎県日向市を訪問した際、数年以内に能代市に新しい製材工場を建設する予定あるという話をそこで知りました。今回は、2回に渡ってその後日談になります。

 

「木都能代の再生(上)」『北羽新報』2023年10月23日号

 文・小川孔輔(法政大学名誉教授、作家)

 

 生まれ故郷の能代市は、明治から昭和にかけて東洋一の製材都市でした。約60年前、小中学生だったわたしたちは、社会科の先生から「能代が東洋一の木都」だと教えられていました。そのことを誇らしく思ったものです。
 街を歩いていると、「木都能代」が実感できました。米代川の上流から筏(いかだ)で運ばれてきた秋田杉の丸太が、市内の至る所にある製材工場で杉板に加工されていました。製材マシーンが町中で唸り声を上げていました。耳をつんざく音がこの町の繁栄の証でした。

 記憶に深く刻み込まれた「臭い」があります。雨で湿ったおがくずの酸っぱい臭いです。杉の端材やおがくずの湿った臭いが、雨の日には町中に流れていたものです。

 高度経済成長期がピークを迎えると、国産材が北米や東南アジアから入ってくる外材に押されるようになります。能代市の基幹産業である製材や合板の事業も徐々に衰退していきます。町では倒産と廃業が続いていました。帰省するたびに、町が元気を失っていくのがわかりました。しかし、故郷を離れた後で、木都能代のことをすっかり忘れていました。

 

 昨年の春のことです。大学院生のプロジェクトを支援するため、宮崎県日向市を訪問しまいた。「へべす(宮崎県原産の抗酸化柑橘類)」の現地調査のためです。へべすの栽培と加工品のことを質問していたときのことです。約10年前に、日向市に製材工場が進出してきたことを知らされました。工場の進出で、地元に新たに雇用が生み出されたのだそうです。
 同時に、市役所の担当者は、「工場の運営会社が、新たに製材工場を建設する予定があること」を教えてくれたのです。進出予定地が、なんと能代でした。偶然の出来事に胸騒ぎがしました。「国内最大の木材メーカーが、木材産業が衰退した能代市に、あえて新しい工場を建設するのはなぜなのか?」 しかし、そのときの調査目的はちがっていたので、そのことをすっかり忘れていました。

 ところが、数日前にふと思い立って、日向市の木材工場と能代市への新工場進出の件を、このコラムに書いてみようと思い、グーグルでネット検索してみました。

 検索ワードは、「能代市、製材所、日向市」です。グーグルの画面に現れたのは、「中国木材(株)日向事務所」でした。本社は広島県の呉市。呉市は大学院の卒業生たちが地元に戻って活躍している軍港の町です。記事は、情報誌「ひろしま企業図鑑」からのものでした。
 企業図鑑には、「製材メーカーで国内トップ 秋田県能代市で新工場着工 中国木材株式会社」(2023.09.20)とありました。見出しは、「国産材の適切な活用で脱炭素化社会に貢献」。調べてみると、中国木材は、売上高1000億円超の企業で、製材メーカーとしては圧倒的なナンバーワンメーカーでした(https://zukan.biz/building/chugoku-mokuzai/)。
 住宅用木材の3分の一は、この会社が供給しています。もともと外材を仕入れていたようですが、近年は国産の間伐材を用いてバイオマス発電なども行っているようです。国内でダントツの木材メーカーが、日向と能代に時間差で進出したことを知って驚いたわけです。

 

 筆者が偶然に知った3つの木材都市(呉市、日向市、能代市)を結んでいる因果は何なのか? 来月号(下)では、新工場の建設が能代の町に及ぼす波及効果について考えてみたいと思います。