(その94)「左脳で食べるアメリカ人、右脳で食べるフランス人」『北羽新報』(2024年7月29日号)      

 ジャック・アタリ氏が書いた『食の歴史』(プレジデント社)の書評の一部を、再編集して地元紙で紹介しました。欧米の食文化は、ラテン文化とアングロサクソン文化に分断されています。日本は、明らかにラテン系の食文化圏に属しています。
 わたしはそれを幸せなことだと思っています。視覚や聴覚に訴える芸術(アート)に対する好みや、結婚制度や性風俗など男女の社会的な役割の対する考え方なども、日本文化はフランスやイタリアに近いと思います。
 今月号の連載は、題して、「左脳(理屈)で食べるアメリカ人、右脳(感覚)で食べるフランス人」となりました。
 
  

「連載94回:左脳で食べるアメリカ人、右脳で食べるフランス人」
『北羽新報』(2024年7月29日号)             
 文・小川孔輔(法政大学名誉教授、作家)
 
 ナイジェリア生まれのフランス人で、大統領顧問などを歴任したジャック・アタリ氏が書いた『食の歴史:人類はこれまで何を食べて来たのか』(プレジデント社、2020年)という本を読むことがありました。いまから2か月前のことです。
 この本は、人類が狩猟採集から脱して、農耕文化を基礎とした国家を形成するまで、「食物を巡る陰惨で壮絶な戦い」の歴史を扱っています。一番興味深かったのは、何をどのように食べるかについて、先進国が二つの食文化に分かれるという著者の主張でした。
 欧米の食文化は、フランス、イタリア、スペインの「ラテン系の食文化圏」と、イギリス、ドイツ、米国の「アングロサクソン系の食文化圏」に分かれます。フランスの上流階級では、食事そのものが社交の場でした。食事と会話は切り離せない双生児です。食べることで会話が弾み、食事の時間が長くなる傾向にあります。

 そう考えると、日本の社会は、ラテン系の食文化に近いことがわかります。フランス料理と日本料理の共通点は、素材とプレートを美しく見せることです。野菜の刻み方、ソースの色合いや香りなどです。美味しく食べることも重要ですが、日本人もフランス人も、五感(味覚、視覚、聴覚、触覚、嗅覚)で食事を味わい楽しむという文化を享受しています。右脳で食べるのが、ラテン世界やわが国の食文化の基礎にあります。
 対照的に、アングロサクソン系の食文化では、左脳で食べ物を摂取します。イギリスから移住した米国人が、産業革命の果実である資本主義社会、つまり大量生産と大量流通をベースにした「大衆消費文化」を生み出します。大規模な農場で生産された農作物の販路として、米国人は、効率良く安価に農産物を加工する技術を開発します。
 米国東海岸で、加工食品メーカー(ゼネラルフーズ)やチェーンストア(A&P)、ファーストフードレストラン(マクドナルド)などが生まれ、米国のフードビジネスがグローバルに発展していきます。効率的なフードビジネスを生んだ米国人の食事は、「栄養学的な観点」から構成されています。
エネルギーやビタミンをどれだけ摂取したら、人間は健康でより効率よく働けるか? 極論すると、食べるという行為にとって、エネルギー効率がもっとも大事なのです。会話は必要でなくなります。個食を生み出したのは、米国のファストフード産業だったわけです。
 
 わたしは、若いころに2年間、米国西海岸で過ごしました。そのときの米国人の第一印象は、「提供される料理のカロリー(+たんぱく質とビタミン)を計算しながら食べる人種」でした。米国の加工食品産業は、カロリーベースで運営されていました。
 味は二の次で、安くてカロリーをたくさん摂取できる食品を開発してきました。そのことに貢献した加工食品メーカーは、ナビスコ、ハインツ、ケロッグ、クラフト、マース、コカ・コーラ、ペプシコなどです。しかし、「人は何のために食べるのか?」と問われたとき、つぎのことを忘れてはいかないと思います。
 食べ物の素性を知り、ゆっくりと時間をかけて、家族や友人と会話をしながら食べること。家庭の食卓から、レストランのテーブルから、会話を途絶えさせてはいけないのです。

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