自分自身のことを書くのは、気恥ずかしいものです。他人がどのように自分を見ているのか?いま仕事をお手伝してもらっている林麻矢さん(旧姓、中村さん)に初対面の印象を、それから十数年後に伝えてもらったことがありました。今回は、連載で昔の自分のことを書いてみました。
「爽やかな野心家:28年前の自画像」『北羽新報』2021年2月26日号(V1:20210220)
文・小川孔輔(法政大学大学院教授)
過去の個人ブログに、「中村さんが見た42歳の小川先生」(2006年9月30日号)という記事を偶然に見つけました。執筆は、友人の中村麻矢(まや)さんが、同志社大学の林廣茂教授の奥さんに収まった直後のことでした。独り身になってしまった元上司(66歳)の「余生を支える手伝い」をしているのを知って、衝撃を受けたことを覚えています。
林夫人となった元秘書の中村さんが、初対面のわたしをどのように見ていたのか?同志社大学で開催された研究会の懇親会で、若かりし頃の印象を話してくれました。麻矢さん曰く、42歳のわたしは「爽やかな野心家」に見えたそうです。人にこびることはなく、ときどき嫌みなことを平気で言う人だったらしいのです。
野心家の意味は、彼女に会った途端に、「一生かかって、自分の背の高さまで本を積み上げることを目標に仕事をしてます!」と宣言したからでした。当時は7~8冊を出版し終えたばかりでした。いまならば書き終えた本(47冊)を横にして重ねると、腰の高さほどになります。しかし、当時は何の実績もない研究者でしたから、知らない人が聞いたら、すごいことを言う若い先生がいると思われたでしょう。
再会のタイミングは、フルマラソンに挑戦をはじめる直前でした。例によって、走り始めるとなると具体的な目標がほしくなります。国内外の大きな大会に頻繁に出場するようになり、体脂肪率は10%を切っていました。そこで、「47都道府県のハーフマラソンをすべて2時間以内で走り切ること(フルは5時間以内)」を目標にしました。
「国盗り」の目標達成は、2013年9月の田沢湖マラソンで実現しました。いまは練習と大会を合わせて走行距離4万キロを目指しています。2020年12月現在、1995年からの累積走行距離は約3万3300キロです。4年後には、地球一周の走破目標が達成できそうです。
初対面から28年が経過しても、わたしの本質はあまり変わっていないのかもしれません。ただし、未達になっている身長の高さまで本を積み上げる決心は、このところ少し揺らいでいます。積み上げるのは初版本だけではなく、運良く再版になった重版本や海外で翻訳された自著(中国語と韓国語で+3冊)を一冊に数えるとか、姑息なことを考え始めています。
ただし、年齢を経て大きく変わったことがあります。それは、かなり嘘つきになったことです。本音のところではあまり尊敬できない、好きでもない相手ではあっても、ときどきはゴマをすることを覚えたからです。爽やかに何の衒いもなく、相手から見破られずにヨイショすることが平気になりました。
爽やかなままに、性格が悪くなっただけかもしれません。しかし、大いなる嘘つきになれたのは、いまでも変わり続けることができている証拠です。ここまでの話を麻矢さんにメールしてみました。いまのわたしがどのように見えているのかを尋ねてみました。
「爽やかな野心家が、今は“ちょっといびつな三方良し”かな。世のため、人のため、自分のための「自分のため」がへこんで、「人のため」が出っ張っている感じです」(麻矢さん)
ご指摘の通りです。世の中や人のことが気になって、自分の夢の実現には、充分な時間がとれていないのです。究極の目標として、地球を股にかけて走る「直木賞作家」を狙っているのでした。野心家的な要素が薄まってます。さて、軌道修正はどのようにすべきでしょうか。