(その82)「悲報:「東雲羊羹」が食べられなくなる!」『北羽新報』2023年6月26日号

 全国各地で老舗菓子店やレストランの廃業が相次いでいる。店主や従業員の高齢化が原因である。地方の場合は、働き手の若い人たちがいない。人手不足が深刻で、事業承継も思うようにいかない。そんな中で、わが生まれ故郷の秋田県能代市で、ソウルフードの「東雲羊羹」が消えようとしている。廃業が全国紙で取り上げられたので、全国的にその名を知られるようになった。

 

(その82)「悲報:「東雲羊羹」が食べられなくなる!」『北羽新報』2023年6月26日号
 文・小川孔輔(法政大学名誉教授、作家)

 

 6月21日午後11時半過ぎのことです。わが家は激震に見舞われました。震源地は、秋田県能代市の和菓子店「熊谷長栄堂」。二日前に実家のことで、兄弟3人が秋葉原に集りました。激震が走ったのは、その様子をブログに書き終えようとした瞬間でした。
 元大学院生の高瀬浩君(西武文理大学教授)から、わたしのLINEにメールが入ってきました。「先生、このお店ご存じですか?虎屋の羊羹も美味しいですが、この羊羹食べてみたかったです」。添付されていたのは、『朝日新聞』(オンライン)の記事でした。
タイトルは、「ようかん一筋186年の老舗が閉店へ 閉店を知った客からは注文殺到」(『朝日新聞』6月21日)。「東雲羊羹」は、能代で生まれ育ったわたしにとって、子供のころから食べてきたソウルフードです。最後に食べたのは2か月前で、神戸の息子の家でした。
 千葉県で育った長男の由(ゆう)は、神戸に引っ越したあとでも、東雲羊羹をネットでまとめて購入していたようです。その昔、家族で能代に帰省するたびに、セキトの「志んこ」と熊谷長栄堂の「東雲羊羹」を食べていたからだと思われます。

 

 天保8年(1837年)創業の老舗和菓子店が店を閉じる理由は、羊羹が売れなくなったからではありません。店主や10人いる従業員が高齢になり、後継者もいないことが原因でした。朝日新聞の記事を、秋葉原に集まった妹と弟、関西在住の息子や娘に送信しました。すぐに反応があったのは、東京・板橋に住んでいる妹の道子からでした。
 「嘘でしょ?東京の友達に東雲羊羹をあげたら、気に入って有楽町の交通会館まで買いに行くとか。誰か味を引き継いで欲しい」。妹らしいコメントが続きます。「14年前に機械が壊れて、一旦休業したんですよ。再会したとき、わたし、ファンレターみたいな激励の言葉を添えて注文しましたよ」
 夕方になって、神戸の長男から家族LINEにも投稿がありました。「もうネットから注文ができない。家に1本だけ残っている期限切れが、最後の東雲羊羹だ」。東雲羊羹のパッケージ画像が添付されていました。最後の東雲羊羹です。長男は、大手総菜会社で製造と商品開発を担当しています。ぽつりと一言。「俺が後を継ごうかな(汗)」。

 

 記事によると、「7代目の熊谷健さんが2014年に亡くなり、一時休止。翌15年、熊谷さんの弟で代表の鈴木博さん(88)が8代目として再開させ、2歳下の弟の保(まもる)さんと協力して切り盛りしてきた」(朝日新聞)。妹の記憶は正しかったようです。羊羹を袋に詰める充塡機も故障しがちだったようです。

 先ほど、元大学院生の水沼啓幸氏にメールを入れてみました。「わたしたちのソウルフードがなくなりかけています。この件、なんとかならないですかね」。水沼くんは、中小企業向けの事業承継を専門にしている経営コンサルタント会社「(株)サクシード」の社長さんです。最近、青森の銀行と事業承継で業務提携を始めています。
 いまは彼からの返信を待っているところです。能代の地元で、若い後継者を探し出すことはできないものだろうか?この先も東雲羊羹を食べ続けられるようにするため、クラウドファンディング(事業継続のための資金集め)を自らが組織してみようかと思っています。