(その18)「名前の由来:遠い記憶」 『北羽新報』(2018年1月20日号)

地元紙の連載(東京下町森下発能代着)、今月号では、亡くなった友人たちのことと自分の名前の由来について書いてみました。遠い記憶がよみがえってきます。名づけ親だった父(小川久)が亡くなってからでも、すでに35年が経過しています。

 

「名前の由来:遠い記憶」

『北羽新報』(連載:森下発能代着)2018年1月20日号
 昨年11月8日、思いもかけず友人の訃報に接することになりました。高校時代の同級生、藤岡眞君がすい臓がんで急逝したとのこと。知らせてくれたのは、二ツ井町の元町長、能代高校の同期生、丸岡一直君でした。遠い記憶をたどると、藤岡君は早稲田大学商学部を卒業した後、弘前大学医学部に再入学。その後は、秋田県内で医師になっていたはずです。
 能代高校の同級生(昭和45年卒、3年E組 )のうち、藤岡君を含めて少なくとも6人が、東北大、弘前大、新潟大、杏林大の医学部に合格しています。異常に医者の輩出率が高いクラスでした。
 丸岡君とは、仕事の関係でときどき連絡をとることがありますが、それほど頻繁にというわけではありません。それにもかかわらず、逝去をいち早くわたしに知らせてくれたのは、名前のことがあったからでした。
 「藤岡君、6日に亡くなったよ。東京にいるご子息の名前、あんたと同じ“コウスケ”だけど、ふたりの間で特別な約束ごととかがあったのかな?」
 藤岡君のお子さんの名前は、わたしと同じ「孔輔」です。丸岡君は、わたしたちが特別に親しい関係にあったと思い、藤岡君の急逝を教えてくれたのでした。そういえば、遠い昔に、藤岡君からその話を聞かされたことがあります。
 秋田市で行われた講演会のときだったはずです。「この前、息子生まれたけど、コウスケの名前をもらったよ」。自分と同じ名前が友人の息子に命名されるとは、ちょっとびっくりしました。わざわざそのことを伝えるために、藤岡君はわたしの講演会に来てくれたのかもしれないのです。「藤岡君、ずいぶんと義理がたいところがあるなあ」と思ったものでした。
 わたしたちの間では、その後の約20年間、連絡が途絶えていました。そして、11月に訃報が届いたわけです。まさかの思いでしたが、その直後に、本紙編集者の八代さんからは、「先生と同級生だった佐藤礼子さんが6月にガンで亡くなりましたよ」と知らされました。
 そんなわけで、昨年の11月は、わたしにとって悲しい月になってしまいました。26日には、有機農業を広げる農水省プロジェクト(NOAF)の中心メンバー、盟友の山下一穂さんが虚血性心不全で倒れました。享年67歳。大切な日本の有機農業のリーダーを失いました。
 昨年から、大学時代の友人など仲間がつぎつぎと鬼籍に入っています。もう時間があまり残されていないのかもしれません。家族や仲間たちとの時間が貴重になってきています。
 
 ところで、わたしの名前の「孔輔」は、父親(故小川久)の命名によるものです。中国文学の『三国志』が好きだった父は、軍師の諸葛孔明に帰依していました。わたしには戦略家になってほしかったようです。また、名前の下の部分にあたる「輔」のほうも、人を「輔佐する」の意味なのだそうです。
 「孔(明)」も「(輔)佐」も、「世の中のためになる仕事をしなさい!」という思いから、「孔輔」とういう名前をつけたようです。父の希望が叶えられたかどうか自信はありませんが、いまのわたしは、大学で学生たちを指導する教育職と、企業の経営をコンサルティングする仕事に従事しています。名前に恥じない結果が出せていると願うばかりです。
 さて、丸岡君の話では、藤岡孔輔くんは現在、医学部4年生だそうです。東京在住とのことなので、いつか機会があればお会いして、「ふたり孔輔の会」を開いてみたいものです。生前の藤岡君の医師としての仕事や家庭での生活での話、そして、藤岡君自身が息子さんにどんな思いで「孔輔」の名前を託したのか。そう思うと、なんとはなしに目頭が熱くなってきます。在りし日に、黙祷。