秋田県能代市の地元新聞『北羽新報』への連載が、今回で76回目になりました。今月号からは、コラムの編集担当者が、八代さんから池端さんに交替になります。八代さんには、6年間、原稿を同紙の一面でコラム記事にしていただきました。原稿をメールで送ると、数時間後にはゲラが仕上がってきました。
いまでも、雑誌(『JFMAニュース』:月刊)と会報誌(『DIY・HC協会報』:季刊)と新聞連載(『北羽新報』:月末発行号)を3つ持っています。3つの連載では、北羽新報の編集担当の八代さんが、もっと迅速に原稿をゲラに直してくださっています。
これまで50冊の書籍を手掛けてきました。商業誌などでも何度か連載を担当してきましたが、八代さんは仕事がもっと早い編集者でした。長い間、クイックなお仕事ぶり、筆者としてはほんとに助かりました。ありがとうございます。池端さん、この連載がいつまで続くかはわかりませんが、しばらくはよろしくお願いします。
今回のテーマは、八代さんに半年前から提案していた内容(消防団)でした。11月1日に、わたしは正式に葛飾区の本田消防団員になりました。まだ、活動服が自宅に届いていませんが、訓練とEラーニングがはじまっています。今月末には、29日と30日に、町内の巡回警備の見回りがあります。消防団員としての初仕事になります。
なお、この原稿を『北羽新報』に提出したその日(12月21日)に、別々の全国紙に、関連する記事が掲載されていました。
同日付けの『日本経済新聞』に、「消防団員、初の80万人割れ」。記事中では、仕事の負担が重いことと、高齢化が理由として挙げられていました。また、『読売新聞』には、「出生 初の80万人割れへ」。今年、コロナで結婚減少が影響したという説明でした。
どちらも偶然の「80万人割れ」ですが、掲載された新聞社は違いました。ところが、どちらも社会の構造変化(少子高齢化と婚姻数減)が共通の要因です。もう一つの要因を付け加えるとすると、消防団員と子供の数を減少させているのは、社会の安全と未来に対する危機感の欠如ではないかと思います。
今月号の寄稿文では、読者の皆さんに是非とも伝えたかったことがありました。それは、社会的な活動の停滞の根っこのところにあるのが、国や地域の安全や豊かさに対する無関心さです。地域の防災を支えているのは、消防団員によるボランティア活動です。ところが、22年の退団者が5万人4744人に対して、入団者は微減の3万3445人でした。約2万人の団員の減少です。
出生の方は、コロナの始まった2020年に激減したことが響いています。婚姻件数が60万組から一挙に50万組を割り込みました。それから3年後に、出生数が80万人を割り込んだ決定的な要因です。もちろん2022年には、ブライダル市場が復活していることが分かっています。とはいえ、婚姻数が増えたとしても、3年後に出生数が増えるかどうかは、今の段階ではまだわかりません。
どちらにしても、「消防団員と出世数の同時80万円割れ」は、日本の社会にとって頭痛のタネです。わたしのような高齢者が消防団で働きの中心になり、新人団員として活躍することは、本当に良いことなのかどうか? 体力のあるもっと若い人たちが、地域の防災を支えた方がよいようにも思います。
しかし、現役世代が仕事や子育てで大変なのだとすれば、退職してフルマラソンが走れるくらい元気なわたしのような老人が、社会の安全を支えるために、団員になることも一つの選択肢だと考えてました。その意味から、今回は新人消防団員に応募したわけです。
それでは、本日発売の『北羽新報』のコラムをごらんください。ある意味で、衝撃的な表題です。「71歳の新入り消防団員」とは、わたしのことです。大学教授から地域の消防団員へ華麗なる転身です。
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「71歳の新入り消防団員」『北羽新報』2022年12月24日号
文・小川孔輔(法政大学名誉教授、作家)
令和4年の11月1日は、記念すべき日になりました。その日、葛飾区本田消防団所属の団員として、団長の宮島一壽氏から辞令をいただくことになったからです。本田消防署の上部組織は、東京消防庁になります。わたしは、その日から東京都の準職員に就いたわけです。
家族や親しい友人からは、「教授から消防団員への華麗な転身ですね!」とからかわれています。71歳の新人消防団員は、東京消防庁としても最年長の一人ではないかと思います。
事の始まりは、今年の5月に遡ります。京成高砂駅から徒歩3分のところに、「寿司ダイニングすすむ」というお寿司屋さんがあります。店主は、金井進一さん(43歳)。高校卒業後に米国留学。カリフォルニア州のカレッジを卒業したインテリ寿司職人さんです。
独立して始めた店は、カウンター7席と4人掛けのテーブル席だけの小さな店です。店の奥は畳部屋になっていて、“小上がり“の部屋には座卓が2つ置いてあります。家族連れなど8人くらいまでなら座れるようになっています。
5月のある日のことです。小上がりの部屋に、「本田消防団」の緑色ヘルメットと帽子2個、紺色の活動服など3着が、部屋の壁に掛かっていました。展示品のそれぞれには、東京消防庁のシンボルマークとネーム「Tokyo Metropolitan(消防団)」が入っています。
この日は、少し前から「鮨友」になったばかりの中松礼子さんご夫妻と一緒でした。すすむさんに「これ、一体どうしたの?」と尋ねたところ、「今月から消防団員になったのです。消防団員が不足しているので、先生たちも入団しませんか?」と団員に勧誘してくれました。
隣の席の礼子さんは、消防服とヘルメットを見て、「わんすけ先生(わたしのニックネーム)、わたし消防団に入りたいな」と言い出しました。わたしも「消防団の制服、かっこいいな」と思っていましたが、その場では黙っていました。
夏が来る前に、中松さんご夫妻が入団を決めていました。わたしはしばらく入団を躊躇していましたが、「かつしか文学賞」に応募する原稿が仕上がったところで、小説のタイトルを「わんすけ先生、消防団員になる。」と決めました。そのタイミングで、入団試験の健康診断で合格通知を受け取りました。すべての検査項目が「A判定」でした。
というわけで、すでに団員としての訓練が始まっています。「eラーニング」(ネットでの学習)からのスタートです。学習項目は、緊急時の応急処置、用具の使い方、挨拶や行進の仕方など。学生時代に集団行動が苦手だったわたしが、地域貢献とはいえ、70歳を過ぎて消防団員になるとは夢にも思っていませんでした。
葛飾区の消防団員は現在、男子691名、女子172名。本田消防団は、16の分団から構成されています。第11分団はメンバーが37名。葛飾区で唯一団員数が増えている分団です。それでも、地域の防災を守るためには団員が不足しています。先日、『北羽新報』の記事で、能代市の消防団の定員数削減と給与増のことを知りました。日本全国どの地域でも、消防団員は不足しているようです。
団員になってわかったことですが、パートタイマーとはいえ消防団員の仕事は思ったより忙しいのでした。なかなか団員が増えない要因の一つです。団員不足のため、東京消防庁では、2年前に団員の定年を65歳から75歳に延ばしました。4年間、わたしは団員として活動に従事することになります。