【こぼれ話】「子ども電話相談室」で、素朴な疑問=どうして男のひとはスカートをはかないの?

 中込先生から、ジェンダーレス・ファッションに関連した話を追加でいただきました。娘さんが子供のころの出来事のようです。「子ども電話相談室」で、作家の永六輔さんに娘さんが質問することがあったそうです。そのときの話が、朝日新聞の「天声人語」でも紹介されたとのことです。中込先生のLINEメールを転載します。

 

 昨日のことです。わたしが「女性もののファッションが好みだ」と書いたところ、わたしのガールフレンズたちから、たくさんの好意的な反応をいただきました。

 ブログでも紹介したところ、中込先生(ファッション・コンサルタント)からは、追加でご自身の娘さんの子供のころの体験を知らせていただきました。なつかしいラジオ番組の名前でした。子ども電話相談室!から、そのままで紹介します。 

 

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 おはようございます。
 ジェンダーレスの皆さんの反応は面白かったです。45年前アパレルメーカーに勤めていた時、メンズで花柄のシャツは、まずありませんでした。今はピンクの花柄を男性が着ても何ら不思議はありませんが。

 娘が小学生の時、「子ども電話相談室」で「男の人は何でスカートを履かないんですか」って聞いたことがあります。永六輔さんが、「外国では、民族衣装でスカートを履くことはあるけど、これから男の人も履く時代がくるかもしれないね」って言っていました。

 「子ども電話相談室」がなくなった時、天声人語で、娘のこの質問が取り上げられていて、驚いて20過ぎた娘に見せたことがあります。今男性がスカート履いても不思議じゃないですね。ジェンダーレスでいろいろ思い出しました。

 

 「子ども電話相談室」は、2008年に終了したようです。

 私は、娘が何を質問するか知りませんでした。電話している時に、ラジオで聞いていて、何てくだらない質問したのかと思っていました。しかし、こどもの感性は豊かです。純粋に不思議だったんでしょうね。
 永六輔さんも、最初戸惑っていたのを覚えています。今見ましたら2016年、83歳で亡くなっています。

 

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 <小川の感想>

 永六輔さんが亡くなって、もう6年も経っているのですね。わたしは最初、永さんは落語家さんだとばかり思っていました。放送作家さんだったのでした。独特の語り口といい、ちょっと舌たらずな発声といい、際立ったパーソナリティだったように思います。

 永さんの「これから男の人も履く時代がくるかもしれないね」という予想は、いまだ実現しているようには思えません。でも、わたしのように、女性テイストのファッションに、抵抗なく自然にアプローチしようとする男性は増えているように見えます。スカートは履かないにしても、孫の穂高や諒くん(どちらも7歳)は、七五三で「袴」などを履いていました(笑)。

 

 曽孫の代にでもなれば、男子がそのうちスカートも履くようになるかもしれません。「男らしさ」「女らしさ」などの概念はなくならないと思いますが、ファッションとしての「フェミニン」「マスキュリン」などは、境目がなくなる可能性があるのではないでしょうか。

 そういえば、同居しているもう一人のお孫さん(夏穂さん、4歳)は、このごろは自分のことを「僕」と呼んでいます。これも、男性性と女性性の「入れ子現象」を表現したものではないかと感じます。半分くらいの女の子たちが、どうやら通る道のようです。男子は、そのような道を通らないように見えます。しかし、実は隠れたところで、女性性を主張したくても抑圧状態の男子がいるはずです。

 カリフォルニア州で、米国人の友人から、40年前のデータを見せてもらったことがあります。米国人のおよそ20%(男女)が、精神的には「逆の性」であること。UCバークレイ校には、すでにそのころ「LGBT」(英語では、GLBT?)のサークルがありました。留学時代の友人たちは、LGBTのクラブに所属はしていませんでしたが、デービッドとギルは、性的な傾向として「女性的な男性たち」でした。

 

 ここからは、すこし論調が飛躍してしまいます。

 身体的・心理的な性別以外に、「嗜好(テイスト)としての性別」があるように思います。白状すると、わたしは子供のころから、いわゆる「マッチョな」ファッションに憧れることがありませんでした。戦う兵士や勇猛な武士に、好意的な感情を抱くことがなかったのでした。

 たとえばですが、アメリカンフットボールのQB(クオーターバック)が纏うヘルメットや甲冑のような防護着が好きな男子が、わたしの周りにはたくさんいました。ラグビーなどで着るラガーシャツなどの運動着もそうです。今になって思えばですが、戦闘や暴力、略奪を想起する着衣(ファッション)に、生理的に嫌悪感を感じる感性の子供だったのだと思います。

 隠された深層の心理は、いま振り返ってみると、わが父親の家庭内暴力(DV)ではないかと思っています。また、高校時代に練習場で垣間見ていた野球部の”大田監督”の振る舞い(選手を殴る・蹴る)には嫌悪感しか感じませんでした。中学時代のわたしは生徒会長でしたが、運動部担当の教師(田山教諭)に暴力を振るわれた経験もあります。

 

 暴力によって弱きものを屈服させる行為には、それゆえ、たまらなく反抗的でした。結局は、そうした原体験が、どこかで優しい女性ファッションへの興味を促進したのかもしれません。ファッションテイストは、きっと遺伝的な要因(カリフォルニアのデータ)に加えて、子供のころの肉体的な体験と観察によるものだと推察します。

 わたしが、なぜフェミニンなファッションに好意を持つのかは、暴力を連想させる男性性(マスキュリニティ)の否定から来ているように感じるのです。これは、みなさんからの反応を見て感じたのではなく、自分の過去を内省して最後に到達した推論でした。

 ここまでかいたところで、ある結論に達しました。肉体的な体型(マッチョ VS 細身)とか色彩感覚(ピンクや黄色 VS 黒や紫)とは別の次元で、人間の本当の性向は決定されるのではないか。この点に関して、皆さんからのレスポンスがいただけたらと思います。