今回の巻頭コラムでは、過疎化の問題を考えてみました。BisunessWeek(2017年8月14日号)でも、世界的な都市集中の問題が論じられていました。現状でも35%が人口1000万人規模の大都市に住んでいるのだそうです。これがいずれは80%になるそうです。さて、その予測は本当でしょうか?
「アグリフード・ツーリズム:地方に人は戻ってくる」
『北羽新報』(連載:森下発能代着)2017年8月26日号
「能代市の人口の推移」という統計グラフを見ています。わたしが大学に進学した1970年、能代市の人口は77,011人でした。2015年は54,730人で、45年間で約30%の純減です。減少分のほとんどは、15歳から24歳までの若者(県外の専門学校や大学に進学)が、働く先がないので故郷に戻れないことで説明がつきます。これは能代市に限ったことではありません。ほとんどの地方都市が抱えている深刻な悩みです。
人口の推移データを調べてみたのは、最近読んだ森川正之著『サービス立国論』(日本経済新聞出版社、2016年)の中で、都市と地方の人口配置について気になる記述を発見したからです。著者の森川氏は経済産業省のキャリア官僚で、「都市・地域経済とサービス産業」というテーマ(第5章)を論じています。要約すると、以下のような内容になります
「サービス産業の生産性は人口密度と比例している。たとえば、小売業や飲食店などでは、サービスを受ける人が施設の周囲に高密度に居住していたほうが、たくさん集客ができるので、サービスの生産性が高くなる。事実、商圏人口が5万人を切ると、映画館や大型のショッピングセンターは成り立たない。いまや日本経済の付加価値の75%をサービス産業が生み出している。人口密度が高い都市部にサービス従事者を集約するほうが、経済全体の効率が高まる。職住接近のコンパクトな街を作り、地方の人口を中規模の都市(10万~30万人)に集中することが望ましい」(第5章の要約)。
高級官僚の政策提言は、重たい意味を含みます。この本を読んだ地方のひとたち(特に政治家やお役人)は仰天するはずです。学者に転身した元官僚の主張は大胆です。地方経済が衰退した一番の原因は、製造業の海外移転です。秋田県でも、地方に誘致された工場はこの20年間で海外へのシフトが加速したはずです。となると、もはや稠密な都市設計でしか日本経済の効率は高まりません。地方再生の道は閉ざされているという認識なのです。
この見通しは正しいでしょうか? わたしは、地方経済の活性化には別の解法があるように思います。鍵を握っているのは、農業部門と地方の食品メーカー、そして観光産業の振興だと考えます。地方経済が復権するには、地方にすでに存在している優良なサービス資源に国内外から人を引き付ける努力が必要です。農業と食品加工業、それ絡めた観光産業(アグリフード・ツーリズム)が、地方再活性化のポイントなのです。
従来からの発想では、「中央」(大都市)が生み出した流行や文化に「地方」が追随するのが無難なやり方でした。都市が生み出した富を、地方交付税のような形で再配分する。生産力が相対的に低い地方は、財政的に中央政府に依存する。ところが、多様で独自な食文化や観光資源は地方に存在している。全国一律・世界共通よりも、ここでしか楽しめない食生活と緩やかに流れる時間を楽しむことが、付加価値の源泉になる時代が到来しているのです。全国チェーンや大規模メーカーの商品は、差別的な価値を失いかけています。
外国人観光客が増えてはじめて、日本の豊かな自然や多様な食文化の価値が見直されるようになりました。たとえば、わが能代市の観光資源と食文化を見てみてください。ブナの自然林に抱かれた白神山地、日本海と森林に囲まれた美しい自然。四季折々の食材と料理法は、その場所で味わってはじめて価値があります。フードツーリズムが21世紀のテーマです。残された課題は、県外や海外に向けて売れる素材を宣伝する方法とマーケティング部隊の創設です。
残念ながら、九州各県や京都・高山のように、秋田県がインバウンドの観光需要を取り込むことに成功しているという話を聞くことがありません。世界遺産や美しい海岸線を、もっと積極的に売り出すチャンスがあるのではないでしょうか?それができなければ、地方都市はこのまま疲弊するのを待つしかないでしょう。