『北羽新報』の連載コラムは、7月号(8月掲載)の掲載が遅れていました。能代松陽高校(旧能代商業)の甲子園出場で、記事が立て混んでいるためのようです。一回戦は、8月10日の午前中、第二試合のようです。東京に住んでいると、地方の行事に疎くなりがちです。今回は、ファッションセンターしまむらの創業者、島村恒俊さんのお話です。
「優秀な社員に未来を託す:ファッションセンターしまむらの場合」『北羽新報』2022年8月7日号
文・小川孔輔(法政大学名誉教授、作家)
日本全国津々浦々に約2200店舗(2022年2月期)を展開する「ファッションセンターしまむら」(本社:埼玉県)の創業者は、御年95歳の島村恒俊さんです。経営の第一線から退かれてから約30年が過ぎています。ご本人はいまでもお元気で、埼玉県の吉見町にお住まいです。10年ほど前に出版した『しまむらとヤオコー』(小学館、2011年)の取材のために、静かな沼のほとりにあるご自宅に何度も足を運びました。
島村さんの誕生日は3月8日です。欧州では「ミモザの日」として知られています。この日は、普段からお世話になっている女性たちに、男性たちが「黄色の花」を贈る習慣になっています。フランスやイタリアでは、バレンタインデーより盛んに花が消費されるときです。
島村さんには、書籍の出版で大変お世話になりました。そのこともあって、ミモザの日には、島村さんが大好きな薔薇(花束や鉢植え)を12年間、絶えることなく贈り続けてきました。90歳を過ぎたあたりから少し耳が不自由になられたこともあり、今年は代理で娘さんからお礼の電話をいただきました。ご本人もお元気でした。
ところで、インタビューの際に、島村さんがとても印象的な言葉を残されていたことを、今でも忘れることができません。島村さんは65歳で引退されたのですが、二代目の後継社長にはご自身の身内ではなく、血縁も地縁もない藤原秀次郎さんを指名しました。藤原さんは横須賀の出身で、生え抜きの社員です。その決断を説明してくださったのですが、そのときの島村さんの言葉と表情があまりにも衝撃的でした。
「サラリーマンの子供が、たとえ社長の子息だとしても、経営者の後を継ぐのは所詮、無理だよね」。商人の血(適性)は、現場で苦労していなければ、そう簡単に継承できるものではない。島村さんは、そうおっしゃりたかったのだと思います。しかし、その言い方が、あっけらかんとしていました。実にサバサバしていたのです。
冷静でこだわりがなく、しかもここまで客観的に物事を判断できる人間がいるのだと驚きました。その後、有名な企業家をたくさんインタビューしてきましたが、島村さんのように、後継者選びについて、これほど恬淡として話す経営者をわたしは知りません。
ちなみに、島村家のご子息たちは、しまむらの幹部社員でした。わたしが知る限り、ご両人たちは、経営者として決して力が不足していたわけではない思います。それでも、ご子息より優れた社員の藤原さんに、会社の未来を託すことができる決断力はさすがと言わざるを得ません。
その後のしまむらの成長と、コロナ禍での堅実な事業の様子を見るにつけて、島村さんの慧眼には感心するばかりです。身内を贔屓目に見ることなく、その人の実力を見極めて会社の未来を託す。客観的に後継者を選ぶことがどれだけ困難なのか。
周囲を見渡すと、大企業なのに家族経営の発想から抜け出すことができない会社がなんと多いことか。後継者に息子や娘を指名して、会社をダメにしているケースが目立ちます。それにつけても、島村恒俊さんの偉大さが際立っています。