【おススメ】下条由紀子副社長((株)アールビーズ)の「+会員限定コラム:ランナーズ創刊物語」が始まる

 橋本・下条ご夫妻((株)アールビーズ社長・副社長)から噂には聞いていました。『月刊ランナーズ』の創刊号が、32頁のタブロイド版からスタートしたお話です。この度、『月刊ランナーズ』がオンライン会員(+)を募ることになりました。早速、わたしも紙媒体から「+メンバー」に乗り換えました。

 

 オンライン会員のメリットは、創刊号からのバックナンバー(現在遡及中)がすべて電子ファイルで読み放題になることです。本棚のスペースの有効活用になります。そして、会員限定のコンテンツにアクセスできることです。

 限定サービスの一つが、早速に本日読んだコラム「+会員限定コラム MEMBER COLUMN」です。「ランナーズ創刊物語(1)」の連載執筆者は、下条由紀子編集局長です。

 メンバー限定コラムですから、コピペは厳禁です。1970年代、報知新聞が報じた「OLが青梅30kmを走る」という記事が、『月刊ランナーズ』の創刊の引き金となった事件でした。

 わたしのように、『月刊ランナーズ』から「+メンバー」に転換手続きをすることで、下条副社長のコラムを読むことができます。オンライン版は記事は、ランネット(RUNNET - 日本最大級!走る仲間のランニングポータル)から入ることが読むことができます。

 

 下条さんの記事によると、『月刊ランナーズ』の創刊号は32ページ。表紙には、「ご夫婦と子どものランニング風景」が掲載されていました。創刊は1976年2月で、当時の価格は280円(現在は定価780円)。第一号は、ご本人が参加した青梅マラソン(30K)で自ら手売りしたそうです。

 

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 私が走り始めたのは皇居の半蔵門の近くにあった広告代理店に勤務していた、25歳の時、1972年からです。社内で誰かが「皇居を走ろう」と呼びかけ、なぜかふと、その誘いに乗ったのです。学生時代、テニスはやっていたものの、陸上競技には全く興味がなかったのに「走ってみよう」と思ったのは、やはりなんとなく運動不足気味を感じていたことがあり、同時に仕事(クレジットカード会社の発行するPR誌の編集)にも少々飽きていたのかもしれません。金曜日の退社後に皇居1周を仲間と走ることになった時、実家の近くの公園で1~2回朝練したことを(これを書いている今)思い出しました。(後略)

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 この文章ではじまる「ランナーズ創刊物語(1)~」(下条由紀子著)を読むためには、わたしのように「+会員」になってください。ちょっと、このフレーズは商売丸出しかもね。

 

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連載執筆者のプロフィール

下条由紀子(しもじょう・ゆきこ)
株式会社アールビーズ取締役副社長、月刊ランナーズ編集局長。
フルマラソンは完走150回、自己ベスト3時間02分31秒(1987年オーストリア・ウイーン)。
ランナーズ創刊後の1976年12月に第4回ホノルルマラソンを出走、翌年からランナーズホノルルマラソンツアーを開始。1979年の第1回東京国際女子マラソンの参加者告知に関わり、自身も同大会に出場。著書に『ベストジョギング―走る楽しさ生きる歓び (新潮文庫) 』。
※今後のコラムで「ホノルルマラソン」「東京国際女子マラソン」を取り上げます。