先週の土曜日(8月27日)に、3年ぶりで日本一の花火大会が復活した。秋田県出身者なのに、「大曲の花火」は初めての観覧だった。友人の鷲澤幸治さんが、特等席を手配してくれた。夜の部は、火煙業者28社の競演だった。中でも圧巻は、みちのくコカ・コーラ社他が協賛した、河川敷の幅900Mを使った連続打ち上げ花火(スターマイン)だった。
こんな大掛かりな花火は、学生時代に駒形君のご実家のご招待で見た「長岡の花火」以来だとおもう。川面の反映するナイアガラの滝(仕掛け花火)がすごかった記憶がある。
大曲の花火は、当日の午後7時ごろから雨に変わった。最初は小雨だったが、そのうち本降りになった。同じ升席に座った花火を観ていた大草さん(青山フラワーマーケット)の浴衣が濡れて、風邪を引かないか心配だった。翌日も元気に東京に戻ったようだ。
それでも、こんな素晴らしい花火は見たことがなかった。大満足だった。大曲の花火は、音と煙と光の大饗宴だった。
帰りの秋田新幹線こまち号を待つ間に、売店で『大曲の花火』(号外)という本に目が行った。同書は、「大曲の花火」の歴史を紹介した本である。駅売店で、いなにわうどんと刈穂(日本酒)を購入した。そのついでに、泉谷玄作著『花火の図鑑』(POPLAR)と一緒に、パンフレットのような歴史本をバスケットに放り込んだ。花火図鑑を購入したのは、花火の打ち上げの仕組みを知りたかったからだった。
新幹線の中で、2時間を使って『花火の図鑑』(290頁)を読んだ。そして、花火の種類や打ち上げ方や、菊の花が開いた後に色が変わる科学的な説明に納得した。いまは、点火のタイミングや音楽との同期のさせ方などは、コンピュータで制御しているらしい。その方が安全だし、より芸術的に花火が楽しめるからだろう。
それに対して、花火の打ち上げや大会の運営が、どのように進化を遂げてきたのかを解説したのが『大曲の花火:百十年の軌跡』である。さまざまなドラマがあったことが紹介されていた。ちなみに、日本の花火は「まん丸」だが、世界を見渡すと、必ずしも花火が同心円状に開くわけでもなさそうだった。
みちのくの秋田で、全国一の花火大会が開かれてから110年なるのだそうだ。先人たちの汗と努力の結晶が、今の日本一のイベント(最大80万人近い動員)に繋がっている。この2年間は、大曲の花火だけでなく、全国の花火大会が中止になっている。東京の花火大会は、隅田川の花火を筆頭に、これで3年間も開催が中断している。
わたしなど、この場所(葛飾区高砂)に4年前に引っ越してきたのは、7月に開催される「かつしか柴又の花火」が、3階のベランダから至近距離で見られるからだった。2019年の夏を最後に、3年連続でお預けを食っている。だから、雨の中だったが、3日前の大曲の花火を特等席で鑑賞できて、ほんとうに嬉しかった。
花火大会が終わったあとすぐに、夜の部のスタートの打ち上げ(大曲農業高校150周年)をインスタにアップした。そのあと、友人・知人たち(60人)には、雨中で撮影した3分の動画を送ってみた。皆さん、大曲の花火の臨場感あふれる動画に感激してくださったようだ。
秋田民報社の「百十年の軌跡」を見て、ひとつ気が付いたことがあった。今年で「大曲の花火」は94回目になる。それなのに、明治43年に始まりで110年ということは、途中に中断の年が16回あるということである。
大正時代の不景気や経済的な停滞の中止は、寄付が集まらなかったからだろう。雨の場合は、最大4日間も順延していたようだ。戦争前と戦時中の12年間は、花火大会を開いているような情勢ではなかった。いまのコロナ禍の時期と事情は重なるように思う。その間、地元も全国の花火ファンも、再開を楽しみに待っていたのだろう。
そう考えると、東京の花火大会が中止になっていることを責めてはいけない気がしてくる。来年はきっと、隅田川も柴又も、江戸川や松戸でも、花火大会は復活するだろう。大曲の花火大会の歴史を見て、そのように感じた次第である。いつかまた、花火師は東京に戻ってくるだろう。