小川先生は、現代のネカマ=平成の紀貫之?

 学生の一人が、『CSは女子力で決まる!』の感想文(10月提出、このあとアップ)に、「小川先生は、平成の紀貫之だ!」と書いてきた。紀貫之は「古今和歌集」の選者のひとりで、「土佐日記」の作者である。女性風に本を書いているので、わたしが「女性の心を持った男性である」との意味だろう。



 「平成の紀貫之」がどのようなものかはわからないが、わたしが「女性的」な側面を持っていることは、何人かのひとからしばしば指摘されている。「中性的」だという評価もいただいている。
 ある年齢以上の女性たちからは、「先生といると、セクハラっぽいことを言われていても、あんまり違和感がない。そのまま女子会に参加しても、OK」とよく言われる。
 これは褒められているのか?女性達から、「男性としての魅力がない!」と言われているようなのだ。喜んでいいやら、かなしんでいいやら、ちょっと悩ましいところだ。
 
 さて、ウイキペディアによると、

「ネカマ」とは、姿が見えず素性がわからないネットワーク社会の匿名性を利用して、男性が女性を装うこと及び装っている人、またその行為。「ネットおかま」が略語化されて出来た言葉で、インターネット以前のパソコン通信時代から用いられている。法学者の白田秀彰によれば、インターネットの黎明期から男性が女性を装う事例は存在しており、(当時は女性の利用者が極端に少なかったこともあって)女性であると自称しているものがいればまずネカマであるか疑うのが常識であったという。

 となっている。あえて女性を装う動機は、わたしには理解できない。だが、女子的な表現が好きで、差別的な表現だが「おかまちっく」に振る舞うことに喜びを感じる心理は、まったくわからないわけでもない。ただしそれは、女性の心を理解していることとは別物であるように思う。ファッションとしての女装(趣味)ともまた別物であろう。
 というわけで、わたしは、自分がどこに位置に立っているのか、ここに至ってよくわからなくなってしまった。もうひとつ、別の女性的なポジションがあるようにも思うのだが。それが何なのかは、、、
 
 ところで、わたしは、ゼミ生のS君に「平成の紀貫之」と言われて大いに喜んでいる。それはそれで、よろしいのだろうか?(笑)。この辺が、わたしの紀貫之的なところなのかもしれない。こだわりがないんだよね。