【新刊紹介(上)】久松達央(2022)『農家はもっと減っていい:農業の「常識」はウソ嘘だらけ』光文社新書(★★★★★)

 どんな人間でも、簡単には克服できない壁にぶつかるものである。久松さん風に言えば、35歳くらいまでは若さと体力で、何とかその壁を乗り越えてしまうことができる。ところが、40代に差し掛かると、経験と知恵がそれにブレーキをかける。そして、往年の体力が失われていることに気づく。久松さんは、この課題にどのように対応してきたのか?本書の後半部分に、その答えが書いてあった。

 2010年代に、久松さんは2冊の本を出版している。『キレイゴト抜きの農業論』(新潮新書)と『小さくて強い農業をつくる』(晶文社)である。どちらもとても面白く読めたので、本ブログで紹介させていただいている(https://kosuke-ogawa.com/?eid=2754#sequelhttps://kosuke-ogawa.com/?eid=3241#sequel)。

 その後も、久松さんは、ラジオ番組でパーソナリティを務められたり、全国を講演して歩いている。様々な人と議論をする場を求めてきたのも、ご自身の知的な意味での成長のためだと理解している。しかし、小さくて強い農家を志向しながら、独立独歩の久松さんを見ていて、心配事が2つあった。

 法政大学の経営大学院で授業内講演をお願いしたり(2016年)、わたし自身が久松さんのラジオ番組に出演したとき(2015年)にも、そのことには一切触れなかった。それは、久松さんご自身が課題を抱えながら、孤高で驀進する姿を見ていたからだった。他人からそのことを指摘されても、余計なお世話にしか感じないだろう。

 そう思ったので、ご本人の前でも黙っていることにした。久松さんと全く音信不通というわけではなかったが、そこからだとすでに7年が経過している。

 

 久松さんについての最初の心配事は、農場での雇用と教育の問題だった。そこそこの規模の農業経営体(年収5000万円+)であれば、一緒に働いてくれる仲間が必要になる。久松さんの農場は、手のかかる多品目の野菜を有機栽培している。

 久松さん自身はそこがおもしろい(チャレンジング!)というが、面倒な仕事も多い。主要顧客も、業務用直販と個人宅配がメインである。単品目の野菜をそこそこの品質で多量に収穫して、農協の集荷場に納めるだけの農業よりは、相当に手間暇がかかる。

 働き手にはとって覚えることも多いそうだったが、農場は少ない人数でまわしていた。そうなると、とくに農場長レベルの働き手は代替が効かなくなる(と、わたしは感じた)。ところが、わたしが土浦の農場を訪問した直後に、当時の農場長が久松農場を去ることになった。動機や事情はよくわからないが、花の会社から転職してきた有能な女性に見えた。

 外から志願して農場に入ってくる研修生もいるようだが、技術や知識の伝達はどうしているのだろう? 離職や転職が多い中で、雇用をどのように維持するのだろうか? ドキドキしながら、農場で働いている若者たちと久松さんの会話から、相互の距離感を観察していた。

 

 ところが、わたしの心配は、杞憂だった。その答えは、第8章「自立した個人の緩やかなネットワーク:座組み力で生き抜く縮小時代の仕事論」に書いてあった。ここで言う「座組み」とは、入退室は自由だが、独立した個人が緩やかにつながっているネットワーク(チームづくり)のことである。

 久松さんは、ご自身の組織を、ある種の農業経営のプラットフォームと位置付けていた。なるほど、自然発生的に出来上がったのではあろうが、そういう風に「雇用と教育の問題」を解決したのだった。少しは心配していただけに、この帰結にはとても感銘を受けた。久松農場はいまや、元・現従業員が作る農業経営の「ネットワークハブ」になっていた。

 たとえ独立したり、離職した後でも、久松農園で働いたチームメンバーは、自社のリソース(たとえば、農機具の補修や調達、販売先の確保、農場運営のノウハウなど)を共有できる。久松さんが理想として描いてきた組織体だった(前著にもそのことは書いてあったが、それが実現したのだった)。

 小さくて強い農家たちの緩やかにつながった連合体。緩やかな組織の良さが、小さいけれど特色のある農業経営にフィットしているように見える。

 

 二番目の心配事は、やや個人的にものだった。久松さんの時間管理と体力の問題である。わたしの生き方や持論とも関係しているので、迂遠になるかもしれないが、やや詳しく説明する。

 仕事を完遂するためには、「意識して鍛えあげた体力」が必要である。知的な活動に不可欠なこの身体能力のことを、わたしは「知的体力」と呼んでいる。早くからそのことに気づくことができた人間と、何もしないまま50代に突入してしまう人間がいる。かなり優秀な人間でも、知力の基礎に体力があることを自覚しないと、60代になってから取り返しがつかないことになる。

 久松さんは、どうやら40代のはじめごろに、そのことを自覚するようになったらしい。第9章「自分を『栽培』できない農業者たち:仕事を長く続けるための体づくりとと心づくり」で、その昔のご自身の経験を回顧しながら、いまは体力と心の健全な維持に努めている。30代の後半から、腰痛や心理的なストレスに悩み、その解決法を東洋医学と運動に求めるようになったという。

 この事実は、農業者に限ったものではない。わたしのような研究職でも、企業の経営層でも、同じことが起こっている。健全な心は健全な体に宿る。その逆もまた真なりである。

 

 さて、ここまでは、本書の最後の部分(8章と9章)を紹介しただけである。

 本来の書評であれば、議論の中心部分(第1~7章)の内容を解説して、その評価も含めてコメントすべきである。残念ながら、ここで紙幅と時間が尽きてしまっている。

 本書が伝えるメッセージで重要な項目は、①農業経営の二極化、②農家数の減少問題(規模拡大と収益性)、③従来型の有機農業批判、④おもしろい農業への取り組み、などが残されている。

 明日から、富山に「わさびプロジェクト」で出張になる。帰宅してから、(下)で①~④を取り上げてみたい。