毎年のように、「佐野厄除け大師」(栃木県佐野市)に初詣に行く。家族が5人(男3、女2)+1匹(雄のフェレット)もいるので、誰かしらが厄年に当たっている。実際はその厄とは無関係に、家族全員ために厄除けの護符(金5千円也)を受けとりに、手足口・耳目頭・腹背中を護摩の炎と煙にかざしながら、その年の計を立てる。
昨年の暮れ(12月26日夕刻)から、突如として運気が大きく上昇しはじめた。気分の問題といえばそれまでのことではある。予知能力が割合と高いほうであるが、「気持ちの転換」は、将来に起こる「あること」を予見しているはずである。世界経済の低迷や花業界の低調・不調がうそのように、わたしの中に巣くっていた悲観論はまるで潮が引くように、内面からは消え去った。ペシミズムの後退は、オプティミズムへの交代である。
なぜそれが起こったのかはわからない。きっかけは、壊れていた(はずの)電子ファイルのハードコピーが、半年振りに見つかったことである。執筆中の教科書『マーケティング入門』の「第14章:流通チャネルの選択(1)」を印刷したカラーコピーが、机の下から偶然にも発見されたのである。
それ以来、すべてをポジティブに考えるようになった。テキストは18章構成の分厚い書籍である(560頁を予定)。わずか一章分(30頁相当)が見つかったにしても、自らがスクラッチから書き下ろしたり、共同執筆者の仕掛り原稿を修正しなければならない。まだ6章分(180頁分)は残っている。しかも、破壊されたファイルの大方の部分は、高瀬君が修復済みであった。
完成までの日程や物理的な困難さに、さほどの違いはなかったはずである。しかし、失われた原稿を発見できたことは、テキスト執筆以外にも、心理的には良き結果をもたらした。その後の一週間で、正の循環が始まった。
伝わってくる不幸な出来事にも、動揺することがなくなった。以前のように「だいじょうぶ、大丈夫、何とかなるから」で応えることができるようになった。そういわれた人たちも、本当はたいへんなのだろう。しかし、わたしがそういうと、はんで押したように、ほっとした声で電話を切ったものである。
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元旦の今日、佐野厄除け大師に初詣に行った。いつもとは、3つのことが違っていた。(前厄、本厄、後厄など)厄年でない場合は、「方位厄除けの護符」をもらうことにしている。通常はそうなのだが、今年は気分を変えて、「商売繁盛の護符」を選択してみた。
お大師様の境内で、お札の行列待ちをしている間に、冒険心がもたげてきたからである。もうこれ以上は悪くなりようがない。そこまで、景況や株価は落ちている。それならば、神様・仏様に、商売上のお願いごとをしてもよろしかろうと。これまでは、人のために商売運やお金を分け与えてばかり来たのだから。
二番目は、名物の「だるま」の大きさを変えたことである。佐野のだるまは、毎年、前年より大きいものを買う。古いだるまは、一年間の奉公に感謝して、お寺さんに戻す。そうしている間に、3年前に、達磨さんの大きさが最大サイズになっていた。もはや、上がり目はない。しかし、だるまの大きさは毎年キープしなければならない。だるま支出に、毎年一万円。
東北自動車道を車で走っているときに、これもさっさと決断してしまった。「そうだ、最初からやり直せばいい。簡単なことだ。毎年、だるまを年々大きくしていくのを楽しむには、10年に一度だけ特別な年と定め、その年には一番小さなだるまに戻せばよいではないか!」
お参りの後、お寺の境内で、売り子さんに「一番小さなだるまをちょうだい。来年から、また大きくしていくから」と頼んでみた。
売り子さんもにっこり笑って、「また、来年も来てくださいね。期待してます」。
そうか、500円のちびだるまなら、値切る必要もなかったのだ。そのまま財布から、躊躇すること無く500円玉を取り出して、「はい!」とその彼に渡した。
3つ目のエピソードは、差し障りがあるので、ここでは公開しない。これも、昨年まではやらなかったことである。佐野厄除け大師に行ったひとなら、たぶん知っているだろう。お花に関係のある「ことがら」を試してみたのである。