雨上がりの風の盆踊り@富山市八尾(やつお)

 かみさんのリクエストで、おわら風の盆に行ってきました。御多分に漏れず、風の盆もコロナで3年ぶりの開催でした。7月末の感染拡大で、ぎりぎりまで実施が危ぶまれていました。それでも、9月1日から3日間の開催が決定。わたしたちは、初日に、元ゼミ生の木村宏君(アルビス元取締役)の案内で、八尾町内の舞台と町流しの踊りを見るために、通りを歩いて巡りました。

 

 過去のブログ記事を調べてみたところ、15年前(2007年)の8月22日に、富山市八尾町(やつおまち)を訪問していました。

 アテンドしてくれた木村君は、当時は「オレンジマート」というスーパーを4店舗、経営していました。その後、アルビス(東証一部上場の食品スーパー)に店舗を売却し、自身は同社の取締役に就任しました。いまは還暦を機会に再度、独立してマーケティング・プロモーションの会社を興しています。

 風の盆の当日(9月1日)は、大曲の花火に続いて、またしても雨に祟られました。盆踊りが始まる16時過ぎには、やや小降りになりました。ところが、本番の舞台が見られる時間帯、夕方19時には雨脚がふたたび激しくなりました。

 この展開は、大曲の花火と瓜二つです。場所と日にちは違っていたのですが、今年の夏は、なぜか、このパターンになってしまいます。

 

 台風と雨に祟られて、全くツキがないのです。でも、そこはそこで、神様がわたしたちを完全には見放しませんでした。

 大曲の花火でも、クライマックスの終盤、これからという20時ごろに大雨になりました。その中で、豪華なスターマインが打ち上げられました。河川敷に設営された桟敷席の観客たちは、雨合羽のままで傘をさしてながら(わたしもそのひとりでした)、それでも暗い闇夜の空を見上げていました。

 観覧席でずぶぬれになりながら、3年ぶりに全国から集まった28社の花火師たちの競演を楽しみました。大満足の3時間でした。ちなみに、花火と火煙の豪華さはさておき、こんな長時間(3時間強)の花火大会は見たことがありません。「昼の花火」(17時~)を見た宍戸君と大草さんは、雨中で4時間の鑑賞時間になったはずです。

 

 その1週間後になります。15年ぶりの”リベンジ”おわら風の盆も、大曲の花火と同じく悪天候に見舞われました。

 そもそも、かみさんからのリクエストは、15年前の盆踊り当日が、大雨だったからです。そのときも、町流しの踊りは見られず、どこか室内で踊りを鑑賞することになりました。わたしは記憶があいまいでしたが、かみさんと木村君は、その時の様子をきっちりと覚えていました。

 今回も、夕方から雨が大降りになりました。天気予報で雨雲予想図を見ていたところ、今回も室内での踊りの鑑賞になるのだろうと覚悟を決めていました。木村君が機転を利かせて、福鶴酒造の店前の庇を確保してくれました。そこから通りを挟んで、集会所の2階の舞台で演じられる踊りを鑑賞できました。踊りの主は、中学生くらいで男踊りと女踊りです。

 法被を着た男の子たちはまだ経験不足なのか、すこしバランスを崩して踊っていました。浴衣の女の子たちは、よく練習ができているのか、対照的に上手に踊っていました。たくさんの写真と動画を撮影できました。

 

 舞台が終わる前に、木村君の提案で、八尾の町内を見て回ることにしました。前回は、まったく見られなかった夜の街並みです。

 古い町家が続く通りの両側には、和紙に「おわら風の盆」と書かれたぼんぼり(提灯)が並んでいます。子供のころから祭りで踊ったこともある木村君が、「雨の風の盆も、しっとりと趣があってなかなかいいですね」と、翌日にLINEで返信して来ていました。石畳が雨に濡れて、ぼんぼりの灯火に照らされている街並みの様が美しく感じられます。

 大雨がなることがわかっていたので、例年に比べて、初日の人出が思ったほど多くなかったからでしょう。西町から西新町に移動する坂道の写真には、人間がひとりも写っていません。まるで盆踊りが終わった後のようでした。緩やかに昇っていく石畳の通りを、遠くの坂下から撮影した景色に見えます。八尾の町は、京都の祇園あたりの街並みを髣髴とさせます。

 

 八尾の町は、山側に坂を昇っていく道筋で、浄土真宗の門名寺(もんみょうじ)を挟んで、西町と東町に分かれています。それが、新しく開発された(と言っても、100年以上前の話ですが)山上のエリアは、東新町と西新町へと続いています。

 1回目の舞台が終わる19時半すぎには、雨がザーザー降りでした。福鶴酒造があるのは、八尾町西町2352。木村君に案内されて、わたしたちは3人は、西新町の方に歩いて行きました。石畳とぼんぼりの美しい写真が撮れたのは、舞台で踊りが続いている合間に、新町方面に移動できたからでした。

 濡れた石畳と提灯を写真に収めて、町内をぐるりと回ってきたところで、浴衣姿の3人の若い女の子たちに出会いました。手には、踊りで使う編み笠を持っています。地元出身で20代の前半くらいでしょうか?町内の集会所で、雨が上がるのを待っているよううでした。コロナで密集を避けるため、今年の踊りは、町内別に組織されているようです。

 

 木村君が、女の子3人組に、「写真を撮らせてもらっていいですか?」とお願いしました。「いいですよー」と3人の子たちはうれしそうです。撮影が終わりかけたところで、かみさんが、「ここで踊ってもらえません?」と提案。その瞬間、偶然なのか、嘘のように雨が上がりました。

 3人のうちのひとりが、「足袋をはかなくっちゃ!」と紅白の幕がかかった集会所に入っていきます。雨で足袋が濡れてしまったので、素足のままだったようです。戻ってきたところで、ひとりがYouTubeで音楽をセットしました。本来は、三味線と胡弓と地歌が、生演奏で踊りを引き立てるのですが、スマホのバックでも、彼女たちの踊りは充分に見ごたえのあるものでした。

 艶やかで優美な踊りは、3~4分間。踊りは、わたしのインスタグラムで追体験することができます。踊りが始まってすぐに、通りを歩いていた人たちが集まってきました。わずかの時間でしたが、思いがけず、かみさんの瞬時の判断のおかげで、町流しの盆踊りを体験できました(https://www.instagram.com/p/Ch91pnlpdd4/?igshid=YmMyMTA2M2Y=)。

 虫の声が踊りの音楽とシンクロナイズして、絶妙なBGMになっていました。踊り終わった彼女たちは、少し上気していたように見えます。それはそうでしょう。若さの頂点にある3年間、踊るための舞台(ステージ)を持つことができなかったわけです。きっと心も体も、うずうずしていたはずです。

 輪になって踊りを鑑賞していた観衆からは、踊りが終わった途端にパチパチパチと温かい拍手。踊り子さんたちも、嬉しそうにお辞儀を返していました。彼女たちが踊り終わるとすぐ、また大粒の雨が降り始めました。なんとまた、運のよいわたしたち。

 

 八尾の町では、踊りを見るために、「花を打つ」という習慣があるようです。いわゆる花代のことです。わたしたちが通りを歩いているときに、軒先から三味線と胡弓のちょっと物悲しい音楽が聞こえてきました。窓を開放している民家の中を覗くと、ふたりの女性の踊り手が、室内で優雅な踊りを披露しています。

 木村君の説明では、家のご主人が、踊り手と囃子方に「花代」(2~3万円)を払って、家の中で踊ってもらっているのだそうです。12畳ほどの居間には、親戚や招待客らしきひとたちが、車座になって踊りを鑑賞していました。

 雨上がりの一瞬でしたが、ラッキーなリベンジ体験ができました。次回は、わたし自身で花を打ってみたいと思いました。それが、おわら風の盆、本当の楽しみ方なのかもしれません。