不得意な分野の仕事でも、逃げずに取り組んでみれば、それなりにおもしろい成果が出るものだ。

 『新潮45』(2015年6月号)に書いた「日本社会に社外取締役は本当に必要か(仮)」というコラムのことである。マーケティング研究者が企業統治について書くなんて意味があるのかなとも思ったが、やってみるといまの仕事との関連性が見えてきて、それなりにおもしろい仕事ができたように思う。



 この記事論文は、社外取締役が日本で増え始めた3つの理由から書き出している。①米国政府からの圧力(背後にあるのは機関投資家の影響)、②日本企業の株式保有構造の変化(銀行と持ち合いの解消)、③日本政府の方針転換である。5月1日に施行された「改正会社法」では、とうとう上場企業に対して複数の社外取締役を選定することが決まった。
 わたしは、しかし、複数の社外取締役設置に反対の立場をとっている。結論部分のみを、このブログで引用することにする。
 
 5 3つの提言:
 企業統治を論ずるための出発点として、そもそも「会社は誰のものか?」という根源的な問いかけをすべきではないだろうか?「会社は株主のものである」(=米国流株主資本主値)という思考は、実は自明な答えではない。ICUの岩井克人教授の会社論は、その会社の本当の所属を考えるためのヒントになる論考である。
 岩井教授は、「ヒト生かす経営築けるか(経済教室)」(『日本経済新聞』2015年5月19日)で、日本型会社システムの歴史的な意義について論じている。岩井氏によると、従業員の利害を、投資する株主の権利より重視する日本型の「民主的」な会社システムは、日本の社会が自ら築きあげたものである。このモデルによって20年近く経済成長を継続したことは、米国型とは異なった型の会社システムの成立が可能であることを示す実験だった。
 その一方で、成功しているように見える「米国型会社システム」はもはや世界標準ではなくなっているとも述べている。岩井氏は、「ポスト産業資本主義的な会社は、株主を必要としなくなっている」と断言さえしている。
 そうだとすると、米国企業社会の価値基準で、機関投資家のような株主の利害を守るためだけに、社外取締役に「お目付け役」の任を託すことはおかしな事態だということになる。経営者を筆頭に、従業員や納入業者、販売先や地域の人々など含んだ、多くの利害関係者が会社を支えている。所有概念に対して、ステークホルダーを中心に考える会社観が正しいのだとすれば(「ステークホルダー資本主義」)、監視のための外部者=社外取締役の重要性は減じられてしかるべきである。今後、社外取締役の制度に問われているのは、岩井氏の主張への回答である。

 最後に、社外取締役の制度に関して、3つの提案をして本稿を終えたい。
 ①社外取締役ゼロの企業があってもよい
企業経営は本来的に個別的でユニークである。監視や助言のための必要性も異なっている。だから、上場企業に対して一律に、複数の社外取締役を選任するよう義務づけることは無意味である。自由で健全な企業活動に対して有害でさえある。
 ②社外取締役の兼務は最大3社まで
学者や女性経営者の兼務実態を見ると、社外取締役を複数人選任することよりも、ひとりの人間が兼務する企業数を制限すべきだと考える。本当に助言や監視がほしいのであれば、経営内容をきちんと精査する時間が必要である。現役経営者や学者の兼務は3社程度に制限すべきではないだろうか?
 ③社外取締役に対するインセンティブは、就任5年後以降に
社外取締役にはストックオプションなどが付与される。長期的な貢献が社内取締役の役割だとしたら、報酬体系も長期的な視点から支払われるべきだろう。たとえば、ストックオプションは、任期終了後5年以降にならないと行使できないように規制すべきである。