原稿を書いているときに、しばしば「のってしまうこと」がある。消費者行動の用語で言えば、「フロー経験」の状態である。武蔵大学の尾上伊知郎(助)教授から、大昔(1997年)にいただいていた資料を参考に、「ポストモダンの消費論」を書いていた。全文をアップしてみたい。わたしは「モダン派」の学者と思われているが、その反証でもある。本質はラテンで、かなりポストモダンである。
3 ポストモダンの消費者行動論
(1)解釈的アプローチの誕生
1985年は、消費行動論にとって、ひとつの大きな転換点だった。それは、ラッセル・ベルクらが組織した「消費者行動研究者たちによる漫遊の旅(Consumer Behavior Odyssey)」のプロジェクトが、ポストモダンの消費者行動研究アプローチを提唱する画期となった年だからである。
1980年代半ばまで、「モダンな消費者行動論」は、主として「購買行動」を対象としていた。アンケート調査や実験によって、商品開発や価格づけなどの意思決定に必要な消費者反応データを収集する。集めた調査データを、当時ようやく低コストで利用可能になった統計パッケージで集計分析する「定量的アプローチ」が主流だった。
これには対して、ベルクらのプロジェクトチームは、商品の購買行動ではなく、「消費経験」に焦点を当てた。コンピュータを分析用具とするのはなく、ビデオ録画機器やカメラに片手に、撮影した画像を元に、人々の商品の使用経験を解釈することに多くの時間を費やした。「定性的なアプローチ」で、消費経験や欲望の意味を解釈しようとする方法論を新たに開拓したのである。
20年を経過したいまでも、定型化された分析枠組みが確立されたわけではないが、従来からの量的分析偏重の消費者行動研究に、一石を投じたのは事実である。その後は、「経験価値マーケティング」(シュミット199?)や「快楽消費(hedonic consumption)」の議論に、大きな影響を与えることになった。 また、学会誌のJournal of Consumer Researchを通して、多くの論文と研究者(ブラウン、ホルブルック、ハーシュマン、ベルクら)を生み出していった。
本節では、消費経験や快楽、遊びといった消費の側面に注目した「ポストモダンの消費者行動論」を、簡単に紹介することにする。なお、<コラム18-2>では、ポストモダン消費論の発展経過について、木村(2009)の紹介文を要約して掲載しておく。
この付近に
<コラム18-2 解釈的アプローチと消費文化論の発展>
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(2)消費の意味論
第5章「顧客の分析」で登場した消費者は、合理的な経済人だった。日常生活の場面で、満足を極大化するために製品やサービスを消費したり使用したりする人である。そのために、事前に必要な情報を収集し、時間や金の投入や自らの努力の仕方をきちんと計算し、買い物やサービスの購入を決定する合理的な人間である。
ところが、財の購入やサービスの消費について、われわれはいつでも経済合理的に意思決定をしているわけではない。経済的な使用価値を有する財として、「モノ」を消費するばかりではない。ときには、製品やサービスが有する象徴的な「意味」を消費するために、商品を購入することもある。フランスの思想家、ジャン・ボードリヤールに起源を持つ「ポストモダンの消費思想」は、シンボリックで快楽的な欲求から人間は財を消費するのだとの見方から、消費者行動を説明している。
「なぜ人はモノを購入するのか?」という問いに対して、「モダン(現代的)な消費論」では、3通りの説明が可能である。
①機能的価値: 便利だから、おいしいから。だから、商品を購入するといった機能的な有用性が購買理由。
②情緒的価値: 気持ちがよいから、楽しいから。なので、購入するといった情緒的な価値が購入理由。
③自己表現的価値: その商品を持つことで、他人から自分のセンスを評価されたいとか、そもそも高額なブランド品を所有することで、自らの富を誇示したい。そういう理由が購入目的。
顕示的な消費(conspicuous consumption)は、3番目の「自己表現的価値」の概念的なルーツでもある。場合によっては、それとは別の説明も可能である。
④記号的価値: モノに託されたシンボリックな意味のために、商品の購買(贈与)がなされるという説明。
具体的な例をあげてみよう。世界中には、さまざまな形の贈り物の習慣がある。キリスト教社会のクリスマス・プレゼント、日本の社会慣習である「お土産」や「お歳暮・お中元」、結婚式の「引き出物」などである。これらは、経済的な返礼の意味もあるが、それよりも、第4番目の「記号的価値」の色彩が強い。お土産は「親愛の情」を、お歳暮・お中元は「上司への恭順」を、引き出物は「思い出の品」が記号的な意味として託されている。
特定の芸術家による作品をこだわって収集する場合のように、レアな物財の購入が「審美的な価値」に基礎を置く場合もある。芸術作品は、部屋に飾る調度品として利用される場合は例外として、その使用に価値があるわけでない。記号的な価値を有するわけでもない。第5番目の価値が、その存在根拠である。
⑤快楽的価値: モノの収集やその密かなる鑑賞行為が、特別な意味と快楽を生み出す消費の理由になる。
ハーシュマンとホルブルック(1982)は、快楽の源泉を、3つのFで要約して表わしている。すなわち、Fantasy(ファンタジー:夢想)、Feeling(フィーリング:感情)、Fun(ファン:遊び)。これを、以下では、具体的な例をあげて、快楽消費の文脈で解釈してみる。
(3)コレクターの世界: 快楽消費による説明
4番目(記号的消費)と5番目(快楽的消費)の価値は、マネジリアル・マーケティングの世界では、消費者行動研究の対象として、従来は正統とみなされなかった分析の枠組みである。「米国消費者行動研究学会(Association for Consumer Research)」の中で、ホルブルック、ハーシュマンらが提唱し、その後に学会の主流として認知されるようになったアプローチである。
快楽的な消費の側面についての極端な参照例は、趣味家やコレクター、オタクたちの世界である。彼らの収集行動や使用場面をのぞき見ることで、快楽消費についての理解がさらに深まることになる。以下では、尾上(1995、1996)にしたがって、「コレクターたちが、なぜ財のコレクションという行動に向うのか」を分析した事例を紹介する。 尾上は、この当時(1990年代後半)、ガラス製品の収集家であり、自らの収集経験とポストモダン消費研究が重なっていた時期である。
自らの体験をもとにした「世界中から集めてきたガラス作品の収集事例」の結論は、人間がモノを収集する動機は、基本的に7つであるという説明である。
①審美眼
絵画や彫刻のような芸術作品は、本質的に「美しい」。モノそのものが「審美性」という内在的な価値を持っている。収集家でなくとも、芸術品に対する優れた審美眼を持っている一般人はいる。ふだん使いの雑貨や日用品でも、同じテイストのものを集めて並べみると、単一の商品では得られない組み合わせの美しさを感じ取ることができる。「収集作品」を見て楽しみ、その美しさに浸りこむ感覚がファンタジーやフィーリングである。色彩や質感にこだわり始めると限りがなくなる。インテリアのコーディネーションなどがその良い例である。部屋を飾るのが好きな人ならば、使用価値に加えて、「どうせ集めるなら美しい方がよい」という気分になるだろう。
②所有欲
同じ種類のものを、完全ではなくても、とにかくたくさん揃えてみたい。美術館に入るような芸術性の高いものを所有してみたい。限りない物欲は、所有の限界にまで突き進むことになる。次なる行動は、さらに珍しい作品を入手するため、収集した商品のなかで余剰なモノや重複品を交換したり、再販売することである。 所有経験による満足は、コレクターが収集物を再販売することをビジネスにすることにもつながる。世の中に、コレクター出身のディーラーは多い。さらには、所有欲が嵩じると、「フェティシズム(物神崇拝、擬人的愛情)」に走ることにもなる。
③差別化
尾上氏の実体験である。ニッチなガラス製品の収集を続けていると、他人、とくに日本人が収集していないものを集めたくなる。また、ガラス瓶の素材や形について、新しい収集テーマを設定したくなる。他人が行かない場所に行って、特別な知識(ウンチク)を蓄えて、他者との差別化を試みることもする。尾上氏の経験に限らず、例えば、ワインの愛飲家たちの収集行動を見ていると、うんちくや収集テーマの差別化という点でしばし納得できるところがある。
④投機的(金銭的)
収集品の数と種類が多くなってくると、個人的なコレクションであってもそれなりの価値を持ってくる。人と場合によっては、将来の値上がりを期待するための収集という経済的な動機が新しく生まれる。売り手が対象物の価値を知らないこともある。したがって、例えば、ワインの収集の場合で言えば、知識をもった収集家であれば、ドイツやイタリアの現地のスーパーマーケットで安く入手したワインを、日本のレストランや個人に高く売ることができる。
⑤自己表現
これも尾上氏の体験によるコメントである。時間と手間をかけて集めた商品(作品)は、展示して人に見せたくなる。「商品を並べ替えることで、収集した品のコレクションに新しい意味や価値を付与するのは、一種の創作活動である」(尾上)。顕示的欲求を満たすために、博物館もどきのものを自宅に作ったり、自らのコレクションで個展を開いている収集家もいる。
⑥知識欲
モノに加えて、情報収集そのものに価値を置くこと。美術研究者や学芸員型の行動欲求である。作品の来歴や作者の特徴、その時代背景などについての知識を得ることに喜びを感じる。そこから、知識自体を保有していることに優越感を感じる傾向が生まれる。その先で、金銭的な利得を狙う「ディーラー」に変身するコレクターが登場することもある。例えば、尾上氏の周りには、国によって異なる価格の情報や、キズの修復や贋作の見分け方についての知識を生かしたり、商業的にレプリカを創作することで、知識を金銭に換えていった人たちもいた。
⑦フロー経験
「フロー体験」とも呼ばれる。一般的には、生活に意味と楽しさを与える「強烈な没入経験」のことをさす。 コレクションの行為は、その意味で、収集作品が自分に対する内的報酬であり、集めた作品を眺める行為が自己目的的活動である。収集の難度と能力のバランスを保つために、身体的、感覚的、知的な技能とリスクを要求される。「オークション会場でのビッドで、予定より安い落札できたり、高額で競り勝った場合の感覚は、何とも表現がしがたい経験である」(尾上)。オークションの前に情報を集めたり、購入戦略を立案したりするので、「コレクション行為は、ある種の知的ギャンブルであり、ゲーム感覚になる」(尾上)という。
(4)快楽主義と主観主義
コレクターの収集行為と主観的な感覚を、前項では記述してきた。「主観的」と表現したことからも明らかなように、ポストモダンの消費アプローチが依って立つ立場は、「客観的」で科学的な存在としてのモダンな消費者像とは異なっている。
図表18-6は、ポストモダンの消費論が主張する「解釈主義的アプローチ」の特徴を、従来型の消費者行動論が想定している方法論である「実証主義的アプローチ」と対比したものである。モダン対ポストモダンの両アプローチを、存在論、認識論、価値観、評価基準から整理したものである。
モダンな消費論の前提は、消費行動や消費者の欲望の実体が、客観的で単一であると考えることである。消費行為や消費行動を分析する場合にも、科学的な因果法則が成立する世界が存在していると想定する。それに対して、ポストモダンな消費論の想定では、消費行為を解釈する人間の数だけ、現実は多く存在している。しかも、時間や場所や状況によって、消費行為の解釈は異なってくる。現象は文脈依存的で、経験は主観的であり、消費者の欲望はとらえどころが無いものとされる。
ポストモダンの消費分析から得られるのは、一般的で科学的な法則でない。そうではなくて、現実に対するより深い理解や気づきに対して、多くの価値を置いているのが特徴である。消費行動を分析する意味は、分析が説得的であり、現象をおもしろく記述することである。評価基準も、物語やドラマの世界観に近いところがある。
それでは、消費者行動論の未来は、モダンなアプローチとポストモダンな方法論とを対比させてとき、どちらの側に軍配はあがるのだろうか? どちらか一方ではないように思う。要するに、バランスの問題である。ポストモダンの消費論では、一方的な意味解釈論である。具体的なマーケティング・アクションに結びつけるには、そこからの距離が遠すぎる。単なる解釈学では、ビジネスの役に立つことはすくないだろう。それに対して、モダンなアプローチでは、調査結果やデータを形式的に利用すぎる傾向がある。両者の長所と欠点を補完して利用すべきであろう。